ユーロ2024開催のドイツで50年前に見たW杯 ベテラン記者が明かす今では考えられない移動ルートとチケット購入 (3ページ目)
【入場券コレクション】
その後、W杯入場券の販売方式にはさまざまな変遷があった。
1982年スペイン大会以降は"金儲け路線"が進行して、さまざまな抱き合わせ販売方式が取り入れられた。
スペイン大会ではホテル代とセットでないと入場券が買えなかったし、1990年イタリア大会では、たとえばミラノでの試合の入場券が1枚だけほしくても、ミラノでの全6試合分をセットでないと売ってくれなかった(だから、入場券は完売なのに空席が目立った)。
ついでに、同じ西ドイツで開催された1988年のEUROの入場券もご紹介しておこう。
1988年EUROでのチケット(画像は後藤健生氏提供)この記事に関連する写真を見る これも、さまざまな色が使われていて、スタジアムの図なども1974年W杯入場券のデザインを踏襲している(ここに示したのは、ミュンヘンで行なわれたグループリーグの西ドイツ対スペイン戦)。とても美しい入場券だった。
当時の入場券は、大会ごとにデザインを競っていたかのように美しいものが多かった。
したがって、サッカーの本場ヨーロッパでは「入場券コレクション」という趣味が一般的だった。W杯観戦に行ったことのある人なら、試合終了後スタジアムの外に「入場券を集めている」というプラカードを掲げた人が立っているのを見たことがあるだろう。ここで集められた入場券がコレクターたちのマーケットに送られるわけだ。
しかし、西ドイツW杯のようなさまざまな色を組み合わせた入場券は珍しい。時代とともにデザインはすべて一緒で、コンピュータ文字がプリントアウトされただけの入場券が多くなった。
さらに、最近ではQRコードで入場できる仕組みが普及しつつあり、いずれ紙の入場券というものは姿を消してしまうのかもしれない。
寂しい限りである......。
著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。
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