「優柔不断」が決め手。フランス代表をW杯優勝に導いた名将の手法

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

サッカー名将列伝
第9回 エメ・ジャケ

革新的な戦術や魅力的なサッカー、無類の勝負強さで、見る者を熱くさせてきた、サッカー界の名将の仕事を紹介する。今回は、1998年にフランス代表を初のワールドカップ優勝に導いたエメ・ジャケ。当時、メディアの厳しい批判を受けながらも独自のチームづくりを貫き、結果を出した監督だ。その手法は前大会のワールドカップで2度目の世界一に輝いたフランス代表にも受け継がれている。

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<フランス代表を変えた監督>

 クレール・フォンテーヌ(フランス国立のサッカー養成所)の監督室に、1枚の大きなパネル写真が飾られていた。1994年に日本で行なわれたキリンカップの優勝トロフィーと共に、エメ・ジャケ監督や選手たちが写っている。

1998年フランスW杯で優勝。カップを掲げるエメ・ジャケ監督1998年フランスW杯で優勝。カップを掲げるエメ・ジャケ監督「あれが最初の優勝で、代表チームにとって再生の第一歩だった」(ジャケ)

 98年、自国フランスでのワールドカップ(W杯)優勝で大団円を迎えることになる、ジャケ監督のフランス代表が記した第一歩が、キリンカップだったわけだ。

 ただ、オーストラリアに1-0で勝ち、日本を4-1で一蹴した時のメンバーと、4年後の世界一のメンバーはかなり違う。4年も経てばナショナルチームの顔ぶれが変化するのは普通のことだが、この時のフランス代表は中心選手がガラリと入れ替わっていた。

 キャプテンで攻撃の中心だったエリック・カントナ、バロンドールも獲得したゴールゲッターであるジャン=ピエール・パパン、プレミアリーグのMVPに選出されたダビド・ジノラは、4年後の優勝メンバーにはいない。

 カントナはプレミアでの"カンフーキック事件"によってメンバーから外れた。その後、マンチェスター・ユナイテッドでは見事な復活を見せたのだが、ジャケはついにカントナを招集しないままだった。

 パパン、ジノラもカントナと同じタイミングで早々に招集しなくなっている。この3人はチームで最も発言力のあるグループだった。彼らに代わったのはディディエ・デシャン、ローラン・ブラン、マルセル・デサイーである。フランスが攻撃型から守備型へ転換する象徴的な出来事だった。

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