「優柔不断」が決め手。フランス代表をW杯優勝に導いた名将の手法 (4ページ目)

  • 西部謙司●文 text by Nishibe Kenji
  • photo by AFLO

 強化期間が長いわりには強化日数をほとんど取れず、招集して、試合をして、解散というサイクルの代表チームにおいて、特定のメンバーに依存した特定のプレースタイルに重きを置いていなかった。4年という長いスパンは、深化させ完成させたチームを維持できなくなる危険をはらんでいるからだ。実験をつづけたのは「可能性」を探るためだったと思う。

 1つのチームを深化させるのではなく、さまざまな選手の組み合わせによる可能性を探る。チーム力は右肩上がりにはならないが、どんな相手、状況にも対応できる手はつくっておく。最終的に22人を選抜したあと、ジャケは4-3-2-1と4-2-3-1の2つにシステムを絞り込んだ。

 出自がさまざまな選手で構成されるフランスは、多様性のシンボルとなったが、ジャケは台頭していたニコラ・アネルカを最終メンバーから外している。結束を重視し、内紛のもとになりそうな要素を注意深く排除した。もちろんカントナも選ばなかった。

 18年に2度目のワールドカップ優勝を成し遂げたデシャン監督のチームづくりは、ジャケと非常によく似ている。多様性、結束、あえて固定しないスタイル......ジャケ以降の「フランスらしさ」だった。

エメ・ジャケ
Aime Jacquet/1941年11月27日生まれ。フランス・ロワール県出身。現役時代はサンテティエンヌやリヨンでプレー。監督としては80年代にボルドーでリーグ優勝3度とクラブの黄金期をつくった。93年にフランス代表監督に就任。98年、自国で開催されたワールドカップでフランスを初優勝に導いた。その後は長くフランスサッカー協会のテクニカル・ディレクターを務めていたが、06年に引退している

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る