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「ハートコンタクト」で敵を圧倒 横浜F・マリノスの前身、日産の黄金期を築いた名コンビをこうして生まれた (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

「ワシは外(左サイド)で1対1の勝負をする。加茂さんも『キンタにサポートはいらん。おまえ、全部勝負しろ』と。ワシが相手の背後をとって走ったら、だいたい勝つ。それを和司はわかってるわけやから、パスが来る。

 だから、ゲームのなかで和司と目合わせるの、嫌やったんですよ。『あ、コイツ見てるわ。裏に走らないかんのか......』って。ワシは足元で(パスが)ほしいのに、走れっていう目をされるからね。和司にも、よう言うとったもん。『おまえと目合わしたない』って(笑)」

 いわば、あうんの呼吸。ふたりは、走り出すタイミングについて話し合うことなどまったくなく、次第に目を合わせることすら必要としなくなっていった。

「アイコンタクトっていうけど、いやいや、ワシら、目合わせてないから。よく和司も言うとったけど、動作でわかる、みたいな」

 見る者をうならせる抜群のコンビネーションは、金田の表現を借りれば、「ハートコンタクト」によるものだった。

「目を合わせてるようじゃ、おしまいですよ」

(文中敬称略/つづく)◆木村和司のFKのすごさ「PKより壁があるFKのほうが決める」>>

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

金田喜稔(かねだ・のぶとし)
1958年2月16日生まれ。広島県出身。広島工業高→中央大を経て、1980年にJSLの日産自動車入り。同郷で1年後輩の木村和司らとともに一時代を築く。大学2年生の時に初選出された日本代表でも奮闘。変幻自在のドリブルと独特なフェイントで攻撃の主軸を務めた。19歳119日という日本代表最年少得点記録を保持する。1991年に現役引退。以降、解説者、指導者として奔走し続けている。国際Aマッチ出場58試合6得点。

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