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「ハートコンタクト」で敵を圧倒 横浜F・マリノスの前身、日産の黄金期を築いた名コンビをこうして生まれた (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

 社会人1年目から苦い経験を味わわされた金田は、しかし、決して投げやりになっていたわけではない。それどころか、日産に入る時に加茂からかけられた、「キンタ、5年で日本一になろう!」という言葉を実現したい。その気持ちは、熱を帯びたままだった。

「でも、それには人が来ないと無理なんですよ。トレーニングでうまくなるって言っても、所詮は才能なんで。だから、和司が来れば、(日産は)絶対変わるって思ってた」

 木村の日産加入が、チームにとって大きな戦力アップとなったことは、今さら言うまでもない。その後の成績が示すとおりである。だが、それと同時に金田と木村、それぞれにとっても大きな転機をもたらすことになる。

 それは、木村が日産に入って3年目のシーズンのこと。それまで主にウイングとしてプレーしていた木村が、攻撃的MFへとコンバートされることになったのだ。

「中盤をやることで、和司の能力が一気に開花した」

 金田はそう言って、当時を振り返る。

「ロサンゼルス五輪の予選が1984年の3月ぐらいやったかな......。それもあって、たぶん(当時の日本代表監督である)森(孝慈)さんが、『和司を中(MF)にして、キンタを外(ウイング)にしたい』って、加茂さんに言ってくれたんだと思う。それで加茂さんも、(日産の布陣を)代表仕様にして、ワシと和司のポジションを入れ替えたんじゃないかな」

 当時の金田は、高校、大学、そして日産と、ずっと中盤を主戦場としていた。だが、そのプレースタイルは、本人曰く「ワシの場合は、中盤でボール持っても、結局全員抜いて決めるような感じ。それでも一応はできてたけど、そんなにゲームメイクはしてなかった」というタイプだったのである。

 このコンバートは、結果的に金田と木村の両方を適材適所に配し、彼らの能力を最大限に引き出す格好となった。

「才能的に言ったら、和司が中のほうがいい。だって、アイツはキックの精度が高いし、何でもできるから。そりゃ、合ってますよ、やっぱり」

 結局、日本代表はこのポジション変更の甲斐もなく、ロサンゼルス五輪の出場権を逃すことにはなったのだが、その一方で日産は、「和司にボールを預けるようになって、チームとしてめちゃめちゃ(攻撃がうまく)回るようになった」という。

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