高校サッカーのスーパースター&元日本代表がメロンパン販売を始めるまで 山田隆裕が振り返る波乱の人生 (4ページ目)
【メロンパン販売を20店舗まで拡大】
昇格の際には、涙を見せて歓喜した山田。日本代表を辞退したこともあったが、サッカーすべてに対してモチベーションを失ったわけではなかったのだろう。
「すべては運と縁とタイミングです。J2でのプレーにも、僕は何の抵抗もなかった」
仙台は02年も無事にJ1残留を決め、山田は03年のシーズン途中に「自分の役目は終わった」と、今度こそ引退した。そして、数カ月後にはメロンパンの移動販売をフランチャイズ事業として展開し、メディアで取り上げられ話題となった。
メロンパンを自身で売り歩いていたわけではなく、フランチャイズ経営だった。オーブンを積んだバン(車)をスーパーの駐車場などに停めて、焼きたてのメロンパンを売るのだが、焼きたてという物珍しさ、涼しい仙台の土地柄、広告塔となったトップの山田が最後にプレーした地だったことも追い風となり、瞬く間に約20店舗まで拡大した。
当時、Jリーガーが引退後に異業種で活躍する例はほとんどなかったこともあり、山田はセカンドキャリアの代表的な成功例としても知られるようになった。
「もともとは僕の知人が大阪で、メロンパンの移動販売をやっていたんです。それを見たのがきっかけで始めました。いまならキッチンカーといえばオシャレなイメージがありますが、当時はとてもキレイとはいえない車にオーブンを積んで、そこでメロンパンの焼きたてを売っていたわけです。僕は『本当に売れるの?』という思いで見ていましたが、焼き始めると辺りが香ばしいパンのいい匂いに包まれて、どこからともなく人が集まってきて、すぐに行列ができました。そして、聞けば1日に1000個も売れると言うんです。
焼きたてを売るなら、寒い地域のほうがいいですよね。大阪で成功しているなら、東北(仙台)でフランチャイズ化すれば間違いないとの単純な発想で起業しました。するとローカルメディアにも紹介され、すぐに多くのオーナーが集まりました。ただ、いま思えば準備不足でした。売り上げが一気に伸びたぶん、落ち込みも早く、約3年で畳むことになりました」
(つづく)
山田隆裕(やまだたかひろ)
1972年4月29日生まれ。大阪府高槻市出身。小学校3年の時に静岡県清水市に転居。清水市立商業高校では1年からレギュラーとして活躍。1988年の全国高等学校サッカー選手権大会決勝の市立船橋高校戦では決勝点を挙げる活躍で優勝に貢献。1989年と1990年に2年連続高校総体、全日本ユース選手権制覇に貢献するなどして注目を集めた。高校卒業後、日産自動車(現横浜F・マリノス)に入部。黎明期のJリーグで人気を博した。1992年には日本代表に選出。その後、京都パープルサンガ、ヴェルディ川崎、ベガルタ仙台でプレー。2003年シーズン途中で現役を引退した。
著者プロフィール
栗原正夫 (くりはら・まさお)
1974年6月11日生まれ、埼玉県出身。大学卒業後、放送、ITメディアでスポーツにかかわり、2006年からフリーランスに。サッカーを中心に国内外のスポーツを取材し、週刊誌やスポーツ誌に寄稿。ワールドカップは1998年、夏季五輪は2004年からすべて現地観戦、取材。メジャーよりマイノリティ、メインストリームよりアンダーグラウンド、表より裏が好み。サッカー・ユーロ、ラグビーワールドカップ、テニス4大大会、NBAファイナル、世界陸上などの取材も多数。
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