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高校サッカーのスーパースター&元日本代表がメロンパン販売を始めるまで 山田隆裕が振り返る波乱の人生 (3ページ目)

  • 栗原正夫●文 text by Kurihara Masao

【ベガルタ仙台のJ1昇格に貢献】

 引退後は、何もせずダラダラとした生活を送っていたというが、1本の電話が運命を変えた。電話の声は、かつてマリノス、京都で師弟関係だった清水秀彦だった。J2のベガルタ仙台で監督になっていた清水から、「(引退して)暇なら遊びに来い」と誘いを受けたことでキャリアの第2章が始まった。

「確か5月の連休明けくらいだったと思います。軽い気持ちで仙台に行ったら、駅にチームのマネージャーが迎えに来ていて、練習着を渡されて3カ月帰れなくなった(笑)。清水さんからは、3年でチームをJ1に上げたいので協力してくれと言われました。

 当時、仙台はJ2でも下位に沈み、メンバー、環境、選手の意識、どれをとっても簡単なことではないと思いました。ただ、その頃はまだ野球の楽天イーグルスもなかったですし、東北最大の都市・仙台には東北で初のJ1に昇格するという気運があって、スタジアムにも活気がありました。まるで10年遅れのJリーグバブルが来ているというか。個人的にはもう一度、J1でプレーしたいという気持ちはなかったですが、仙台という街が変化していく様は見てみたいと思い、現役復帰することにしました」

 仙台では、山田はボールの受け手から出し手へと、プレースタイルを変えていった。

 同年、仙台は5位まで順位を上げると、翌年には見事昇格。昇格の行方は最終節までわからなかったが、仙台は優勝した京都に1-0と勝ち、J2の2位に滑り込んだ。

「その裏で(勝ち点で並び、得失点差で上回っていた)モンテディオ山形が川崎フロンターレと対戦していて、山形が勝ったら僕らの昇格はなかった。でも試合前に輝雄(岩本)たちと、山形には失礼だけど『都市の規模を考えても、東北で最初にJ1に行くのは仙台なんじゃないか』という確信めいた話をしていたんです。そしたら、本当にそうなった。

 決勝ゴールは終了間際の44分でした。輝雄の左クロスを僕が中央で頭でつなぎ、最後はザイ(財前宣之)が押し込むと、スタジアムは大歓声に包まれました。僕にしては珍しいヘディングでしたが、高校時代の選手権決勝もヘディングでしたし、伝家の宝刀なんです(笑)」

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