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【Jリーグ】森島寛晃が驚いたエース西澤明訓の鬼気迫るプレー「表情がまるで違っていた」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【立ち向かう余力は残ってなかった】

 電光掲示板の表示が消え、あとはロスタイムを残すのみだった。このCKをしのぎさえすれば、悲願のリーグ優勝を実現できるはずだった。

 右からのCK、キッカーの宮沢正史がマイナス気味のボールを送り込むと、エリア内の近藤祐介が右足で合わせる。そのシュートはゴール前に構えていた古橋達弥が身体を張ってブロック。跳ね返ったボールを柳本啓成がヘディングでクリアするが、距離が伸びなかった。

 そこに反応したのは、今野泰幸だった。胸トラップから左足を一閃。西澤が懸命に足を伸ばすが、わずかに届かない。柳本、古橋の足もとを低弾道のボールが通過する。守護神の吉田宗弘が左に飛んで手を伸ばしたが、指先をかすめたボールは無情にもネットに吸い込まれていった。

 長居スタジアムには悲鳴と歓声が交錯し、選手たちはバタバタとピッチに倒れ込んだ。そしてベンチにいた森島は信じられないといった表情で頭を抱え、呆然とピッチを見つめた。

 試合時間はまだわずかに残っていた。しかし、セレッソの選手たちにもはや立ち向かう余力は残されていなかった。

 間もなく鳴り響くタイムアップの笛──。それからしばらくして、電光掲示板に他会場の結果が表示された。

「川崎 2-4 G大阪」

 セレッソに訪れた結末は、5年前と同じだった。

(文中敬称略/つづく)

◆森島寛晃・後編>>「ガンバだけには絶対に負けたくなかったのに...」


【profile】
森島寛晃(もりしま・ひろあき)
1972年4月30日生まれ、広島県広島市出身。1991年に東海大一高(現・東海大静岡翔洋高)から当時JSL2部ヤンマーディーゼル(1994年〜セレッソ大阪)に入団。プロ2年目には主力として活躍し、1995年にはJリーグ参入初年度でベストイレブンに選出される。2008年に現役を引退するまで移籍することなく「セレッソの象徴」として君臨。引退後はチームのアンバサダーや編成・スカウティングに携わったのち、2018年に株式会社セレッソ大阪の代表取締役社長に就任。2025年4月より会長職。日本代表として1998年と2002年のワールドカップに出場。通算64試合12得点。ポジション=MF。身長168cm。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

【図】Jリーグ「歴代最強チーム」フォーメーション

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