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サッカーを伝え続けた稀代の語り部・賀川浩さんのすごさ 際立ったプレー描写を支えた3つの視点 (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【賀川さんの記事を貪り読んだ】

 賀川浩さんと僕との間には、28歳という年齢差がある。

 僕は小学生だった1964年に東京五輪で初めてサッカーを観戦し、中学でサッカー部に入部したのだが、当時、賀川さんはサッカー記者の第一人者で、僕は『サンケイスポーツ』や『サッカーマガジン』に掲載される賀川さんの記事を貪り読んでサッカー知識を増やした。いや、日本語の文章の書き方も賀川さんの記事で覚えたようなものだ。

 大人になってサッカー関係の仕事に携わるようになってから、少年時代からの憧れだった賀川さんと一緒に仕事をさせてもらえたのは本当に名誉なことだった。

神戸一中サッカー部史『ボールを蹴って50年』。賀川さんを訪ねた際に「これ、2冊あるからあげるよ」と直接いただいた、僕にとっての宝物(画像は後藤氏提供)神戸一中サッカー部史『ボールを蹴って50年』。賀川さんを訪ねた際に「これ、2冊あるからあげるよ」と直接いただいた、僕にとっての宝物(画像は後藤氏提供)この記事に関連する写真を見る なぜか、今でもよく覚えているのは1990年のイタリアW杯の時のことだ。準決勝の西ドイツ対イングランドの試合だった(1対1で引き分け。PK戦で西ドイツが決勝進出)。トリノのスタディオ・デッレ・アルピの記者席で、僕は賀川さんの隣に座って観戦することができたのだ。とてもフェアで内容の濃い熱戦だったせいか、賀川さんはいつもより冗舌で、その話を聞いてとても勉強になったことを記憶している。

 12月8日の夕刻、兵庫県の芦屋市で賀川さんの通夜が行なわれたので僕も駆けつけた。

 ちょうどこの日はJ1リーグの最終節で、神戸が2連覇を決めた。

 この日、僕は首都圏の優勝争いには関係のない試合を取材するつもりだった。だが、賀川さんの通夜に出席するため、急遽、兵庫県まで行くことになった。そこで、通夜の前に僕はパナソニックスタジアム吹田でガンバ大阪とサンフレッチェ広島の試合を観戦することにした。

 まるで、「後藤くん、面白い試合になるに違いないから見においでよ」と賀川さんに誘われたような気がした......。

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

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