森島寛晃が引退後も渇望するリーグタイトル。「セレッソじゃなきゃダメなんです」の言葉が示すチーム愛 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by Getty Images

2018年元日、天皇杯優勝を果たしたC大阪。左端が森島寛晃2018年元日、天皇杯優勝を果たしたC大阪。左端が森島寛晃この記事に関連する写真を見る 2018年12月、森島はセレッソ大阪の社長になった。タイトルは、17年度に天皇杯とカップ戦を獲り、残すのはリーグ優勝だけだ。

「リーグ戦は、1年かけて総合力の勝負。自分も選手もその優勝の重みを感じているので、リーグ戦を獲りたいですね。そこからチームがさらに大きく成長していくと思うんです。ただ、昨年、ルヴァン杯決勝に進んで社長になって初めてタイトル獲得のチャンスがきたんですけど、負けたんで個人的にはまだ2000年と2005年の勝ちきれない悪夢が続いている。それを早く払拭して、みんなと一緒に歓喜の涙を流したい。今の選手がきっと達成してくれると思いますし、サポーターと一緒に喜べる瞬間を楽しみにしています」

 2017年のルヴァン杯優勝の時は、胴上げされたが1回で落とされ、笑いを誘った。選手時代、「大きいね」と言われたことはなかったが、最近は、「大きくなったね」と言われるようになった。選手時代の悪夢を払拭し、リーグ優勝した時、モリシが宙に舞う姿をサポーターは楽しみにしている。 

 その時、本当に舞えるのか。

 大きなフォルムになった森島は、ちょっと心配している。

 
森島寛晃(もりしま・ひろあき)
1972年4月30日生まれ。広島県出身。静岡県の名門、東海大学第一高校(現:東海大学付属静岡翔洋高校)から、1991年にヤンマーディーゼルサッカー部に入団。同チームが母体となったセレッソ大阪が1995年からJリーグに参入。1年目から二桁得点を決めるなど、チームにとって不可欠な存在となり、「ミスターセレッソ」「モリシ」の愛称でサポーターから親しまれた。日本代表として1998年、2002年ワールドカップ出場。チュニジア戦で得点を決めた。08年に現役を引退。その後、チームのアンバサダーや強化部を経て、2018年12月より株式会社セレッソ大阪代表取締役社長に就任した。

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