さらば石川直宏。「ケガだらけの
サッカー人生」をポジティブに終える (2ページ目)
FC東京では数々のタイトルを手にしている。2009年には18得点(カップ戦を含む)を挙げてJリーグベストイレブンにも選ばれたが、記録以上に記憶に残る選手だったと言えるだろう。そのプレーは美しかったが、端々に情念が滲み出ていた。
石川の戦いについて、筆者は『アンチ・ドロップアウト』(集英社)で描いている。
苦難にもがく選手に密着するルポ企画だったが、取材した選手がJ1昇格、先発奪取、日本代表入りするなど不思議と飛躍したことで続いた連載だった。2008年から09年にかけて密着取材した石川もそのひとりで、取材をスタートしたときは出番が減っていたが、最後には日本代表に選ばれ、「2010年南アフリカW杯に向け、ジョーカー的存在になるのでは」というところで終わった。
石川は自らの運命を好転させる力を持っていた。
「何も考えないでプレーするために、毎日考え続けてきました」
そう語る石川は、常に自分と向き合ってきた。その姿は、我執(がしゅう)を振り払おうとする修行僧のようでもあった。もっとも、そうならざるを得ない理由もあっただろう。
石川のサッカー人生はケガにつきまとわれた。己と向き合わざるを得なかった。その時間も1日や2日ではない。両膝の前十字靱帯断裂だけでも、2年以上、戦列を離れざるを得なかった。他にもありとあらゆる箇所にケガを負い、そのたびに復活を遂げてきた。並みの選手なら、とうの昔に心がへし折られる辛苦(しんく)だったはずだ。
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