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ヴェルディ再建へ。永井秀樹
ユース監督が明かす苦闘と寝不足の日々 (3ページ目)

  • 会津泰成●取材・文・撮影 text&photo by Aizu Yasunari

 将来、指導者になる自分をイメージし始めたのは、30代後半から40代前半を過ごした沖縄時代、JFLのFC琉球に所属していた頃だという。

 当時も、すでにチームメイトはひと回り以上も年齢の若い選手ばかり。「皆がどうすればピッチ上でいいサッカーができるのか。もっとこういう戦術で戦えばいいのに......」といったことを考えて、指導者目線で若手にアドバイスしていた。しかし実際に"監督"という立場になってみると、その負担たるや、想像以上だったようだ。

「『現役選手のときから指導者目線でした』なんて思ったりもしていたけど、やってみると"監督"という仕事は、(これまでとは)比べものにならないくらい大変。チームや選手に対する責任の重さが全然違う」

 冗談めかして笑いながらではあるが、「とにかく大変」という言葉を何度も繰り返した。永井と初めて出会ったのが、1995年なので、もう20年以上の付き合いになるが、現役時代、サッカーに関して永井から「大変」という言葉を聞いたことは一度もなかった。戦力外通告、選手生命にかかわるケガなど、苦境に立たされた場面も何度か見てきたが、人前で愚痴はもちろん、弱音を吐いたことはなかった。

完敗続きの中で漂い始めた不穏な空気

 永井は引退会見の場で、羽生英之社長から、現場、フロントを問わず、将来ヴェルディの中心的な役割を担う存在になることを望まれた。

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