ヴェルディ再建へ。永井秀樹
ユース監督が明かす苦闘と寝不足の日々 (4ページ目)
サポーターもまた、「ヴェルディを愛するみなさま、もう一度、ヴェルディがチャンピオンチームに返り咲き、日本サッカーを引っ張るリーディングクラブに返り咲くその日まで、いや、その先も永久にずっと、ヴェルディをお願いします」と、引退セレモニーで語った永井の言葉に希望の光を見た。
2008年シーズンを最後に遠ざかっているJ1復帰。さらに、もはや多くの人たちの記憶からは消えてしまったヴェルディ黄金時代の復活......。いや、新たな"緑の伝説"の始まりを、サポーターをはじめ、多くの人々が永井に期待した。21歳で初めて緑のユニフォームに袖を通し、さまざまなクラブに籍を置きつつも、節目節目には再び緑のユニフォームを着て大役を果たし、最後、45歳でやはり緑のユニフォームをまとって現役生活を全うした男に「改革」の匂いを感じたのだ。
去就はそれだけに注目された。
最初にヴェルディユースの監督就任を打診されたのは、昨シーズンの終盤だったという。しかし永井は、すぐには決断できなかった。信頼する恩師、友人にも相談した。
「正直なところを言うと、自分が監督としての能力がどのくらいあるのか、どういう道が向いているのか、わからない。でも、自分の中の本質にはブレがない。それは、『日本独自のスタイルを築いて、世界で勝てるクラブを作り上げたい。それがヴェルディだったら、最高』ということ。そのアプローチとして、現場の監督がいいのか、マネジメント側がいいのか、それはもう少し時間が経ってみないとわからない。
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