ヴェルディ再建へ。永井秀樹
ユース監督が明かす苦闘と寝不足の日々 (5ページ目)
結局、人生はどこでどうなるかわからない。ならば、いきなりネクタイを締めて貢献することもできなくはないのだろうけど、『現場から始めるのもいいのかな』と。現役を離れたばかりだから、ボールも蹴れるし、その気になれば選手の中に交じってプレーを見せて、そうやって伝えることもできる。まずは現場。『ピッチ上で若い選手たちと一緒に汗をかきながら』というほうが、なんとなく自分らしいかな、と」
監督初采配となった1月のドイツ遠征、ケラミックカップは屋内5人制の壁ありという変則ルールだった。それでも、日本勢初の決勝進出を果たし、準優勝という幸先のいい結果を残した。
しかし帰国後、本格的な采配をふるうようになると黒星を重ねた。
練習試合とはいえ、法政二高に3対8、横浜FCユースには0対7で完封負けと、大量失点による完敗が続いた。
「プリンスリーグの開幕前でチーム作りをしている段階だから、自分の中では想定内だった。セレクションの段階から自分でピックアップした選手たちではないので、練習試合では、1年生だろうと3年生だろうと関係なく、選手は全員起用することを決めていたし、開幕から逆算して、自分なりのプランでいろいろと深く考えたうえでのことだった。
でも、だんだん周りは『おいおい、大丈夫か!?』とか、終(しま)いには『永井にユースの監督なんかやらせていいのか』『失敗だったんじゃないか』という声も人づてに聞こえてきた。自分の失敗を望む"反対派"の声っていうのかな......」
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