17歳で日本代表・市川大祐の回顧
「初の日韓戦で息苦しさを感じた」 (2ページ目)
「当時はトップの登録選手が少なく、紅白戦や練習試合などでは、ユースのメンバーが頻繁に(トップチームに)呼ばれていました。そこで、監督やコーチから(自分の存在を)覚えてもらっていたことは確かです。
それと、ちょうどクラブ運営が厳しい時期で、ユースチームも存続できるかどうか、という噂が流れていたときでした。ちょうどJリーグのユースカップを戦っていて、もしチームがなくなってしまったら、自分たちは他のクラブに移ることになるだろうと思った。だから、『(清水が)強いユースチームだと知ってもらおう』というのを合言葉に優勝を目指して、誰もが自らの存在を必死にアピールしていました。結果的には(トップに招集された)福島FC戦後にユースチームは全国優勝を果たすのですが、そのトーナメントを勝ち上がっていく途中の映像を、当時のアルディレス監督が見てくれていて、そこでのプレーを高く評価してもらったようです。
いくつかの条件が重なって得たチャンスですが、ユース選手としてはありがたかったですね。それまでに、スタンドからトップの試合を見る機会も多かったので、もし自分が出たらこんなプレーをしたい、というイメージは持っていました。生意気ですが、試合に出たら『やれるんじゃないか』という自信もありました」
――そうしたアピールが功を奏してか、翌1998年シーズン前には、トップチームの石垣島キャンプにも参加。そのまま、コンサドーレ札幌とのリーグ開幕戦で先発出場を果たしました。
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