17歳で日本代表・市川大祐の回顧「初の日韓戦で息苦しさを感じた」 (9ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

「ヒザの状態が厳しく、甲府も、水戸も1年で契約を終えました。そのときはもう、もし現役を続けるなら手術をするしかない状態で、そこまでして受け入れてくれるクラブなどないだろうなと思っていました。そうしたら、清水時代の先輩・斉藤俊秀さんが監督を務める当時JFLの藤枝MYFCが声をかけてくれて、手術をして何とか現役を続けることができました。その後も、今治、八戸でプレーする機会を与えていただき、ここまで現役を続けることができました。改めて感謝を伝えたいですね」

――小学校1年生からサッカーを始めて30年、1998年にリーグ戦デビューを飾ってから19年。最後に、ご自身が幸せだったと振り返るサッカー人生において、一番よかったことを教えてください。

「まずは、これだけ長い期間サッカーを継続できたこと。そして、指導者や同僚選手に恵まれたこと。もうひとつ付け加えるなら、緊張感の中にある楽しさの本質を十分に味わえたことですね。ケガが多くて、本当につらい日々もありましたけど、もがいていると、どこからか手を差し伸べてくれる人がいたりして、何度となくチャンスをいただいてきました。そこで、多くのことを学ぶことができました。今後は、現役時代に経験したことや学んだことを、自分の言葉で伝えていきたいですね。そういう仕事に就くことで、自分のサッカー人生をさらに充実したものにしたいと思います」

(おわり)

市川大祐インタビュー前編も読む>>

引退特集・永井秀樹編はこちら>>

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