17歳で日本代表・市川大祐の回顧「初の日韓戦で息苦しさを感じた」 (6ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

――外れたメンバーの中では、唯一現地に残りました。

「残るか、(日本に)帰るかは、自分に選択権があって、僕は貴重な経験になるだろうと思って、残ることを選択しました。実際、多くのことを肌で感じ、その後の選手生活にもプラスになるいい経験ができたと思います。ただ、ベンチにも入れてもらったんですが、目の前にあるタッチラインの先は、相当遠くに感じましたね。だから、次の2002年大会には『絶対に出場するんだ』と強く誓いました」

――順風満帆だった選手生活が、翌1999年に一変します。オーバートレーニング症候群によって、長期離脱を強いられました。

「その年のワールドユース大会(現U-20W杯)を控えたU-20日本代表のアフリカ遠征が1月にあったのですが、その際、とにかくだるくて体が動かなかった。帰国しても状況は変わらず、クラブの寮の3階まで上がるのもつらかったほど。それで、検査を受けた結果が、オーバートレーニング症候群でした。担当のドクターからは『簡単に言えば、普通の人以下の体力しかない』と。

 当時はチーム以外にも、日本代表やU-20代表の遠征もあって、学校にも行っていました。体が重いのは自分のがんばりが足りないからと思っていましたから、もし診断もせずにそのまま続けていたら、もっと悪化していた可能性もあります。その前に防ぐことができて、ホッとしました」

――長期離脱から復帰するや、「絶対に出場する」と誓った2002年W杯のメンバー入りを見事に決めました。

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