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17歳で日本代表・市川大祐の回顧
「初の日韓戦で息苦しさを感じた」 (7ページ目)

  • 望月文夫●取材・構成 text by Mochizuki Fumio
  • 長江由美子●撮影 photo by Nagae Yumiko

「1999年から一度も代表に招集されないまま迎えた2001年シーズンは、『今年が勝負だ』と思ってスタートしました。W杯まで『もう1年半しかない』と考えず、『まだ1年半ある』と心に決めて。そのうえで、日本代表に呼ばれるためには、『これまで以上にスーパーなプレーを見せていこう』と意気込んで試合に臨みました。その結果、この年はアシスト数でリーグ1位になるなど、プロ入りしてからベストなプレーができたと思います。

 とにかく、一度代表に呼んでもらえれば、絶対にいいプレーをする自信もありました。すると、2002年に入ってから招集され、念願のW杯出場も果たすことができました。ただ、本大会では、予選リーグのチュニジア戦でアシストを決めたぐらいで、個人的には満足する内容ではありません。チームも決勝トーナメント進出を果たしながら、ベスト16止まり。選手みんな、もっと上を目指していましたから、まだまだという気持ちで終わってしまいましたね」

――続く2006年のW杯でリベンジを、という気持ちも強かったと思いますが、2002年W杯以降はケガとの戦いでした。引退か、と思われるピンチも何度かあったのではないでしょうか。

「2003年のシーズン前に半月板を痛め、それを挽回しようと臨んだ翌2004年もヒジのケガに加えて、ヒザ痛も再発してしまいました。リーグ戦出場はわずか3試合と、どん底でしたね。こんな状態でできるほどプロは甘くないと、改めて感じました。このとき、初めて引退を考えましたね。もし2005年もこんな調子ならば、現役をやめようと」

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