国際性と説明責任。日本サッカー協会5つの問題点 (2ページ目)
現代は情報化社会と言われる。世界の津々浦々にまでネットワークを持っているか。そこが勝負の分かれ目だとされる。日本にも、多くの情報が入ってくるようになった。世界各地のサッカー情報が、ネット経由で次々と舞い込んでくる。世界は近くなったかのような印象を受ける。現地に足を運ばずとも、サッカーに詳しくなった気になれる。
しかし、地球は大きい。サッカー界は広い。サッカーは奥が深い。これでもかというほど流れてくる情報もあるが、まるで入ってこない種類の情報もある。監督の善し悪しは後者の代表になる。いくら情報化社会が進んでも、この手の情報の入手は簡単にはいかない。ネットに答えが出ているわけではない。受け身でいてはダメ。日本サッカー界の運命を託すような、確かな監督ともなるとなおさらだ。
自ら足を使い、常に探し求めていないと、確かな人物、こちらのコンセプトに相応(ふさわ)しい監督に遭遇することはできないのだ。しかし、日本サッカー協会にそうした組織はない。人材もいない。外交官不在なのだ。中心になるのは技術委員会で、それは政府にたとえれば外務省になるが、そのメンバーの中に、世界を見渡せる目を持った人はいない。常時、それを専門職として動いている人もいない。
原博実専務理事は、ブラジルW杯後に行なったこちらのインタビューに「危機管理はできている」と述べた。アギーレに何かあっても大丈夫と胸を張ったが、こちらの目には、それはカラ元気に見えた。
日本サッカーの生命線。浮沈がかかる重要な箇所に、それ相応の配備がなされていない。探す力に欠ける。世界的な視野に欠ける。(たとえ契約が2年単位となっていても)結果的に、1人の監督に4年丸投げすることが慣例化している理由と言ってもいい。
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