国際性と説明責任。日本サッカー協会5つの問題点 (3ページ目)
代表監督探しの過去を振り返れば明らかだ。あるコンセプトに基づき、世界的なスケールで行なわれたのはザッケローニが初めて。それまでは「身近にいる人物」が基本だった。川淵三郎元会長のツルの一声で決まっていたといっても言い過ぎではない。例外と言えるトルシエにしても、実績も名声もあまりない彼に、なぜ2002年日韓共催W杯という一世一代の舞台を託すことになったのか、その経緯は明らかにされていない。
ザッケローニ、そしてアギーレの招聘には、2009年に技術委員長に就任した原専務理事の力が大きく介在していた。技術委員長に就任する前、彼は確かに欧州に単身足繁く通い、世界観を広げていた。日本の評論家には珍しく、情報を自らの足で掴もうとしていた。評価に値する行動をしていた。それが、代表監督探しに生かされたわけだが、あくまでもこれは個人的な財産だ。技術委員長として蓄積したものではない。
原さんはその後、専務理事に昇格。アギーレの次の監督探しでも、現場の霜田正浩技術委員長に後方から指示を送っていると言われるが、「協会の人」になった時点で、フットワークが鈍ったことは確か。かつてのように欧州を飛び回れなくなっている。
外務省を1人で務めてきた原さんが、それ以上の要職に就くと、外務省そのものの組織力は鈍る。同時に、原さん自身のフットワークも鈍る。その国際性も低下する。
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