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【プロ野球】江夏豊が明かした"伝説の21球の真実" 野村克也の革命論、衣笠祥雄の心意気、古葉竹識との確執... (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Takarin Matsunaga

 本来なら次の打者に集中しなければならないのに、頭の中ではずっと「羽田に打たれた」という思いが渦巻いていた。そんな状態で投げ続けるうち、ノーアウト満塁のピンチを招いていた。

【なぜわざわざ外のブルペンを使うのか】

 羽田に初球を打たれたこと以上に、オレの心をかき乱したのは、ノーアウト満塁になった場面で、ベンチが池谷公二郎と北別府学をブルペンへ送ったことだった。「なんじゃ!」と怒りでブチ切れそうになった。

 別に、「最後までオレを信用して心中しろ」と言いたいわけじゃない。延長戦も見据えて投手を準備するのは、監督である古葉(竹識)さんにとって当然の采配だし、そこに文句はない。ただ、大阪球場には室内ブルペンもあった。なのに、なぜわざわざ外のブルペンを使うのか。グラウンドで投げているオレは、「少しは配慮せえや」との思いが一気に込み上げてきたのだ。

 後日、ブチ(田淵幸一)をはじめとする親しい仲間からは、「おまえの性格を知っている古葉さんは、わざと見えるように外のブルペンへ行かせたに決まっとる」と言われた。もし本当にそうだったのなら、古葉さんは相当な策士だ。

 ブチとしては、「怒りがこもった豊の球は打たれない」と考えたのだろう。だが、あれは日本シリーズ第7戦の最終回。一本でも打たれればサヨナラ負け。しかも日本一を逃す場面だ。そんな極限状況でこそ、マウンドにいるオレの精神状態を第一に考えるのが、本来は指揮官の役目だろう。

 たしかに、あえて怒りに火をつけることで力を引き出そうとしたのかもしれない。だが、それが悪い方向へ転ぶ可能性だってある。まさに一か八かの賭けだ。

 この試合、7回一死から登板していた。9回の満塁の場面では、すでに球数は50球近くに達していた。当時は血行障害を抱えていて、50球を超えると極端に握力が落ちる。そうした事情も、古葉さんは当然わかっていたはずだ。

 だからこそ、あえてブルペンを見せることで、「延長に入れば江夏を代えるぞ」と、近鉄に揺さぶりをかけたとも言える。

 理由が何であれ、イライラは収まらなかった。オレはマウンドからベンチの古葉さんを、ずっと睨みつけていた。すると、古葉さんもまた、こちらをじっと睨み返していた。

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