【プロ野球】高木豊が語る近藤貞雄の先見性 今では当たり前の野球を40年前の大洋で実践......スーパーカートリオ、ツープラトン、分業制
野球の未来を見ていた男〜近藤貞雄伝
証言者・高木豊(後編)
前編:「走らないなら使わない」 高木豊が明かす近藤貞雄の"鬼采配"はこちら>>
1番・高木豊、2番・加藤博一、3番・屋鋪要──。横浜大洋(現・DeNA)監督の近藤貞雄は、この俊足3人を「高性能な3台のスポーツカー」と命名した。1985年シーズン開幕間もない頃。スピードを前面に押し出そうと3人を"ノーサイン"で走らせ、走らないと怒り、時には「使わないぞ」とまで言い放った。当時の状況は、どうだったのか。前年に56個で盗塁王の高木に聞く。
1985年から2年間、大洋の指揮を執った近藤貞雄氏(写真左) photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【盗塁って、疲れるんです】
「もうヘトヘトですよ。常に走らなきゃいけないっていうのは。バッターボックスで集中して、走者としても集中しなきゃいけない。もちろんみんな集中しているんでしょうけど......とくに、塁に出たら集中しなきゃいけない立場にあったので、試合が終わったらヘトヘトになっていました。盗塁って、疲れるんです」
球場に足を運んだファンは、選手の疲労までは想像していない。初回の攻撃で3人の足で点が入れば、横浜スタジアムは俄然、盛り上がった。注目されるなか、近藤が3人を「スポーツカートリオ」と呼び始めると、マスコミが「スーパーカートリオ」と呼び替え、その名が広まった。もっとも、選手には相当なプレッシャーだった。
「『うまくスタート切れないな』と思ってベンチを見たら、近藤さんが顎で『行け行け』みたいな動きして。だから、顎で使われてましたよ(笑)。だけど、走って、アウトになっても、怒られることはなかった。最初に『アウトになってもいいから走れ』って言われていたし。そのあたり、近藤さんは徹底していましたよね」
極端とも言える近藤の方針で機動力が増し、打線の長打力不足をカバー。得点力が向上し、前年最下位のチームは前半62試合を終えて28勝29敗5分と健闘していた。当然、足を使うためには塁に出ることが前提であり、その時点で好打者の高木は打率.343、加藤は.312、屋鋪は.270。この中でプロ16年目のベテラン、加藤はどんな存在だったのか。
「加藤さんはうまくつないでくれました。僕が走る時もアシストしてくれて、キャッチャーが投げにくいような動きをしたり、走るまで待ってくれたり。僕が出た時にバントもありましたけど、どうしても先取点がほしい時ぐらいで、加藤さんも打って、出て、走っていたので。3人の中で真ん中に入っているパイプ役として、いい働きをしてくれたと、感謝しています」
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著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など










































