【プロ野球】江夏豊が明かした"伝説の21球の真実" 野村克也の革命論、衣笠祥雄の心意気、古葉竹識との確執... (2ページ目)
最初は「何を言ってるんだ」と思ったし、正直、ピンとこなかった。ただ、「革命」という言葉の響きには妙に惹かれた。フランス革命、キューバ革命、明治維新......と、時代の節目には大きな変化が起こり、英雄になる者もいれば、志半ばで散っていく者もいる。何かを変え、何かを守るために、これほどまで人生を賭ける瞬間はないのだと思ったからだ。
じつは、リリーフ転向については、シーズン中にも打診されたが、その時はまともに取り合わなかった。
【リリーフ転向を決断した野村克也の言葉】
オレンジ色のカーテンの隙間からうっすらと朝日が差し込み始める。それがお開きの合図だった。世間さまの一日が始まろうとする頃、日をまたいで、ようやく長い一日が終わり、オレたちは寝床に就く。
その時、おっさんが満を持したような口ぶりで、ぽつりと呟いた。
「コンディションづくりに関しては、すべておまえひとりで考えてやってみい」
その言葉を聞いた瞬間、自分のなかで踏ん切りがついた。
「わかりました。やりましょう」
この日を境に生まれ変わる決断をしたオレは、広島移籍後の1979年、多くの人が真っ先に思い浮かべるであろう、日本シリーズ第7戦の「21球」へとつながっていくのだ。
山際淳司くんが書いたこの『江夏の21球』という作品があまりにも有名になりすぎたせいで、これまでずっと言えずにいたんだが、じつはあの試合前日、徹夜で麻雀をやっていた。しかもデーゲームだったから、睡眠時間は正味3時間ほど。ベンチにいても、とにかく眠くて仕方がなかった。
『江夏の21球』は、美化されて語られることが多い。だが、その裏で、徹マン明けの江夏がベンチで必死にあくびを噛み殺していたなんて話は、さすがに格好がつかない。まあ、オレとしては、本当のことなんだから、そのほうが面白いと思うんだけどな。
4対3と広島の1点リードで迎えた最終回、近鉄の先頭打者・羽田耕一に投じた初球をセンター前へ運ばれたところから始まった。まさか1点差の場面で、初球のストレートに手を出してくるとは思っていなかった。完全に意表を突かれ、頭の中がゴチャゴチャになった。
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