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幼なじみが証言する「チームを変える男」大谷翔平の原点「負けていても明るいんですよ」 (2ページ目)

  • 田口元義●文 text Genki Taguchi

【小学校の頃から規格外】

 千田が初めて大谷と出会ったのは、リトルリーグを始めた小学校低学年だという。所属していたリトルリーグのチーム、北上ゴブリンズで監督だった父親の光博にとって黒沢尻工時代の1学年先輩にあたる大谷の父・徹が、ライバルチームの水沢パイレーツを指揮していたことでふたりは面識を持った。

 当時から大谷は、同学年のなかで頭ひとつ以上は抜けているほどの高身長だった。

「デカいなぁ......おまえ、何食ってんの?」

 大谷とは対照的に、小学生の平均よりも小さかった千田が何度尋ねても、相手は「魚かな」と淡白に答えるだけだったという。

 それ以来、ふたりの間では身長ネタがテッパンのコミュニケーションツールとなった。

 試合などで大谷と会うと、千田は決まってこんなボケをかまされた。

「......あ、見えなかった! まだ成長期、来てないんだな」

 ケラケラ笑う大谷を見上げながら、千田が「うるせぇ!」と言い返す。無邪気で大柄な少年は、グラウンドに立つと異彩を放った。

「チームで言えばうちのほうが強かったんですけど、水沢パイレーツは大谷がひとりだけ飛び抜けていて。ピッチャーをやると、当時からボールはめちゃくちゃ速かったです。大谷は中学までショートも守っていたんですけど、デカいからか動きがぎこちなくて下手だったんですよ。だから、ピッチャーじゃない時はラッキーだと思いながら試合してました」

 いくら大谷が、小学生では対応しきれないほどのスピードボールを投げていたとはいえ、千田は「目が慣れてくればバットには当てられました」と振り返る。それよりも手がつけられなかったのが、バッティングだった。

 リトルリーグの試合は、球場の外野エリアに柵を設置してサイズを小さくする。大谷の場合は、その柵を軽々と越えフェンス直撃の打球を放っていたのだと、千田が今も唸る。

「バッティングフォームとか打ち方なんて、小学校からほぼあのままですよ。逆方向はさすがに球場のフェン直とまではいかなかったですけど、柵はバンバン越えてましたから。中学になるともう、打球が見えないくらいになっていましたからね。セカンドで『抜かれないように』って一番深いところで守っていても、ゴロが速すぎて一、二歩しか動けずライト前ヒットになるとか。それくらい大谷の打球はヤバい......っていうか、怖かったです」

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