【プロ野球】無名の控え投手が6年後に巨人のドラフト1位に 恩師が語る「まさかのシンデレラストーリー」
広島の古豪・崇徳にとって、昨秋から喜ばしいニュースが続いている。ひとつは、昨秋の中国大会を制し、33年ぶりの選抜出場を決めたこと。そしてもうひとつは、その復活劇に華を添えるように、同校OBである竹丸和幸(城西大--鷺宮製作所)が巨人からドラフト1位でプロ入りしたことだ。
過去、崇徳からドラフト1位で指名された選手は、山崎隆造(広島)、黒田真二(日本ハム1位拒否--日本鋼管福山--リッカー--ヤクルト)、小林宏(広島経大--オリックス)で、竹丸が4人目となる。最速152キロを投じる即戦力左腕は、開幕ローテーション入り、そして新人王へ向けて調整を進めている。
崇徳から城西大、鷺宮製作所を経て昨年のドラフトで巨人からドラフト1位指名された竹丸和幸 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【転機は高校2年の秋】
「まさかドラフト1位で指名される投手になるとは......。こんなに化けるとは夢にも思いませんでした。指導者として、これほどうれしい驚きはありません」
崇徳を率いる藤本誠監督は、教え子の快挙を感慨深げに語る。社会人ナンバーワン投手、そして今や押しも押されもせぬ巨人のドラフト1位として、シンデレラストーリーを駆け上がる竹丸だが、崇徳時代は決して完成されたエリートではなかった。
竹丸は2017年に崇徳の門を叩いた。二葉中時代は軟式の広島スターズでプレー。身長は160センチに満たない小兵左腕で、チーム内では4番手投手扱いだったが、藤本監督は直感的に光るものを感じて声をかけた。
「当時の竹丸は体も細くて、球速も120キロに届くかどうかでしたが、フォームがとにかくきれいで癖のない投げ方をしていました。体ができれば絶対にいい投手になるだろうなと思ってお誘いしました」
藤本監督がスカウトして獲得したが、これといった実績もなく、目立たない選手だった。
「練習をよくやるなという記憶もなく、私生活でも本当にふつうの子でした。ちょっと言葉は悪いのですが、そんなに印象には残らなかったですね」
転機は高校2年の秋。1976年春の選抜初出場初優勝メンバーで、新日鉄君津(現・日本製鉄かずさマジック)、早稲田大を率いたOBの應武篤良(おうたけ・あつよし)さんが監督に就任すると、広島大会で初のベンチ入りを果たした。
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう









































