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【プロ野球】無名の控え投手が6年後に巨人のドラフト1位に 恩師が語る「まさかのシンデレラストーリー」 (2ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

 その頃には身長が170センチを超え、3年春の時点で球速は132キロまでアップ。中国大会で登板するまでの投手となった。藤本監督は当時部長として、應武さんの下で成長する竹丸を見守っていた。

「應武さんはよく『左投手は小柄で小刻みにストライクが取れるやつを獲ってこい』と言われていました。竹丸はもともとコントロールがよかったので、四球で自滅するタイプではありませんでした。バネもすごかったですね」

【高校で野球をやめるはずが...】

 最高学年となって頭角を現した竹丸だが、上のステージでは野球を続けない意向を固めていた。しかし、城西大の村上文敏監督が視察に訪れたことで、運命の歯車が大きく動き出す。應武さんからは練習会に参加することを強く勧められ、見事に合格を勝ちとった。もし高校限りでグラブを置いていたら、「巨人の竹丸」は存在しない。

「應武さんも『ええもん持っとるのう』くらいだったと思うのですが、やはりその影響は竹丸にとってすごく大きかったと思います」

 最後の夏は背番号10でベンチ入り。広島大会4回戦の広島国際学院戦で先発マウンドに上がり、4回1失点と力投するも、1対3で敗れ、高校野球生活は幕を閉じた。

 しかし、藤本監督に見いだされ、應武さんによって紡がれた3年間が、その後の飛躍の土台となっていることは言うまでもない。

 城西大では、首都リーグ二部で2年春からリリーフとして活躍。4年春にはチームを13季ぶり一部へと押し上げ、同年秋は9試合に登板して3勝1敗、防御率1.52をマーク。そして鷺宮製作所での2年間で152キロを投げるプロ注目の左腕にまで成長するなど、才能を開花させた。

 應武さんの病気療養(2022年9月に死去)により、2022年夏から再び崇徳の指揮を執ることになった藤本監督は、竹丸の成長度合いに目を丸くする。

「高校では身長が伸びてみるみる体ができてきましたが、筋力面ではまだ弱かったと思うんです。やはり大学に行ってから球が速くなったと思います。今は、高校の時に比べれば大きくなっていますが、そんなに爆発的にすごい体ではありません。それであれだけ速い球を投げるわけですから、プロになっていいものを食べてトレーニングを積めば、どこまでよくなるんだろうと、末恐ろしい感じがします」

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