【プロ野球】大阪桐蔭最強バッテリー・藤浪晋太郎と森友哉が語る能力勝負の原点「高校の時から何も変わらない」
特別対談 DeNA・藤浪晋太郎×オリックス・森友哉(前編)
大阪桐蔭でバッテリーを組み、2012年の甲子園で春夏連覇を達成。時代の中心にいた藤浪晋太郎と森友哉のふたり。プロの世界で道は分かれ、経験も立場も変わったが、距離感は当時のままだ。昨シーズン、3年ぶりに日本球界へ戻ってきた藤浪を、かつて最も近い場所で見続けてきた森は、捕手として、そしてひとりのファンとして、そのピッチングをどう感じたのか。
オリックス・森友哉(左)とDeNA・藤浪晋太郎 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る
【3年ぶりの日本球界復帰】
── こうして普段から会って、話をする機会はありますか。
藤浪 去年、日本に帰ってきたタイミングですぐに会いました。
森 ついこの間も、一緒にご飯行きましたよね。
── 大阪桐蔭のメンバーから「ふたりはお互いを気にかけながら、ツンデレタイプなので周りがセッティングしないとあまり会ったりしない」という声を聞いたことがあります。
藤浪 "あまり"の頻度は人によりますからね(笑)。
森 たしかに。ちょくちょく会っています。
── そうした時に、いろいろ話もされてきたと思いますが、昨年は藤浪投手が3年ぶりにNPBへ復帰しました。
森 僕は(太ももの肉離れで)登録抹消の時期だったので、復帰初先発の試合はリアルタイムで見ていました。普段ならキャッチャー目線で試合を見ることもありますが、あの時は完全にファン目線でした。「藤浪さん!」って感じで見ていました。
藤浪 ハハハ(笑)。
森 でも、ふつうに抑えるだろうな、と思っていましたし、結果もそのとおりで、しっかり抑えましたよね(5回1失点)。あらためて見て、ボールがえぐかったです。久しぶりに日本で投げて、違和感とかありました?
藤浪 ボールの違いはもちろん、ストライクゾーンのアジャストに多少苦労したかな。とくに高めのジャッジ。日本は両サイド、低めは広い一方で、高めはなかなか取ってもらえない。アメリカは高めが広めなので、フォーシームは高めにしか投げていなかったので、その感覚に慣れるのに少し時間がかかった。
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著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。



























