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金子侑司は決死の覚悟で盗塁王のタイトルを獲得した プロ4年目、「やらんと終わる......」

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

金子侑司インタビュー(前編)

 昨シーズン、12年の現役生活にピリオドを打った西武の金子侑司氏。俊足を武器に盗塁王のタイトルを2度獲得するなど、西武の主力選手として活躍した。そんな金子氏にあらためて自身の野球人生を振り返ってもらった。

16年、19年と2度の盗塁王に輝いた金子侑司氏 photo by Koike Yoshihiro16年、19年と2度の盗塁王に輝いた金子侑司氏 photo by Koike Yoshihiroこの記事に関連する写真を見る

【身長を伸ばすためにバレー部に入部】

── まず、野球を始めたきっかけを教えて下さい。

金子 京都はラグビーが盛んな土地柄で、小学1年生の時からラグビーを始めたのですが、小学4年の頃に幼馴染に誘われて野球をかけ持ちで始めました。

── 小学6年の時には100メートル走で京都市4位になったそうですね。タイムは?

金子 13秒4だったと思います。僕の足が速くなったのは、幼い頃からラグビーをやったおかげですし、足に関しては自信がありました。プロに入ってから50メートル走を計測したら、5秒9でした。

── 中学時代にスイッチヒッターに転向したそうですね。

金子 僕はもともと右投げ右打ちだったのですが、当時、松井稼頭央さんが西武からメジャーに移籍した全盛期で「カッコいいな」というイメージでした。高校野球をやっていた父親も同意見でした。ただ、2倍とまではいかなくても、左右のスイングでそれに近い練習をしなくてはなりません。プロの最後までスイッチヒッターを続けたのは、意地でした。

── 中学時代、京都嵐山ボーイズに在籍する一方、バレーボール部にも所属したのはなぜですか?

金子 僕の通っていた中学は、何かしらの部活に入らないといけなかったのです。中学入学時、僕は150センチしかなくて、バレーボールをやれば背が伸びるかなと......。それで中学卒業時は170センチになり、結局179センチまで伸びましたから効果はあったのだと思います。

── 立命館宇治高校に進んだ理由は? 京都には龍谷大平安、京都外大西、福知山成美などの強豪校があります。

金子 当時はその4校が中心でした。ボーイズリーグに入っている選手は、中学3年の夏ぐらいには進路が決まっているものです。でも僕は、厳しいところには行きたくなく、せっかく強豪校から誘っていただいたのに断ってしまいました(笑)。僕は優柔不断で10月になっても決めかねていて、いくつか学校見学を始めました。

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