松原聖弥を変えた明星大学での4年間 高校時代は補欠だった男は真摯に野球に向き合いプロ野球選手になった
「なんで私がプロ野球選手に⁉︎」
第10回 松原聖弥・後編
前編:「松原聖弥は恩師の言葉を糧にプロ野球選手となった」はこちら>>
異色の経歴を辿った野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第10回後編は松原聖弥(西武)の「衝撃の大学デビュー」からお届けする。
昨年6月、巨人からトレードで西武に移籍した松原聖弥 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【名将を激怒させた送球難】
ノッカーが打ち抜いたボールは、セカンド方向に弾んだ。
松原聖弥はゴロを捕球すると、一塁ベースについたファースト目がけてボールを投げる。だが、高校時代からイップスに悩む松原には、リリースの瞬間にボールがすっぽ抜ける感覚があった。指から離れたボールはファーストが飛び上がっても捕れない悪送球になり、一塁側ベンチの円陣の輪のなかへ消えていった。
ベンチ前でミーティング中だった相手大学の監督は、カンカンに怒ってしまった。
「おい浜井、ちょっと来い! あのセカンド、どうなってるんだ!」
怒鳴り声をあげたのは、東京国際大の監督を務めていた古葉竹識(こば・たけし/2021年逝去)だった。かつて広島東洋カープの監督として、3回のリーグ優勝に導いた名将である。
怒鳴られた明星大監督(当時)の浜井澒丈(ひろたけ)はしきりに謝罪しつつ、「初めてのスタメンで緊張しているんです」と古葉をなだめた。結局、セカンドで先発するはずだった松原は、試合開始直前になってDHとして出場することになった。
2013年春季リーグ戦を前に組まれた東京国際大とのオープン戦で、浜井は入学したばかりの松原を先発メンバーに抜擢した。旧知の仲である仙台育英監督の佐々木順一朗(現・学法石川監督)からは、「浜井さん好みの足の速い選手です」と推薦を受けていた。とはいえ、入学時点で浜井は松原をとりたてて評価していたわけではなかった。
「目立たない選手だったんですけど、やっていくうちに『この子は面白いな』と感じていきました。リーグ戦前になって、一軍に入れたんです」
試合前に古葉を激怒させた一件があったにもかかわらず、松原は決勝タイムリーヒットを放って勝利に貢献した。浜井はますます松原の魅力を感じるようになった。
「あんなことがあったのに物怖じしないし、勝負強いな」
浜井はアマチュア球界で知る人ぞ知るベテラン指導者である。社会人野球の大昭和製紙、ローソンで監督を務め、明星大の監督に就任。首都大学2部リーグに低迷していたチームを立て直すべく、力を注いでいた。
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。