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松原聖弥は恩師の言葉を糧にプロ野球選手となった 仙台育英ではベンチ外も経験し陸上部に転部

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

「なんで私がプロ野球選手に⁉︎」
第10回 松原聖弥・前編

 プロ野球は弱肉強食の世界。幼少期から神童ともてはやされたエリートがひしめく厳しい競争社会だが、なかには「なぜ、この選手がプロの世界に入れたのか?」と不思議に思える、異色の経歴を辿った人物がいる。そんな野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第10回に登場するのは、松原聖弥(西武)。高校3年夏の甲子園でベンチ入りを逃し、アルプススタンドで太鼓を叩いていた男がプロの世界で大活躍。大変身した背景を関係者の証言からたどっていく。

2016年に育成ドラフト6位で巨人から指名された松原聖弥 photo by Sankei Visual2016年に育成ドラフト6位で巨人から指名された松原聖弥 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【太鼓叩きからプロへの道】

 その記事は、仙台育英高校の野球部員が使うトイレの小便器の前に貼ってあった。

「太鼓叩きからプロへ──」

 松原聖弥は昔の記憶をたどるように、懐かしそうな表情で振り返る。

「小便をしながら記事を読んで、『この人すごいなぁ。甲子園で太鼓を叩いていたのに、プロ野球選手になったんだ』って驚きました」

 それは仙台育英OBの矢貫俊之の記事だった。矢貫は身長190センチの大型右腕だったが、高校時代は甲子園のベンチ入りメンバーに入れなかった。アルプススタンドで太鼓を叩く、応援団のひとりに過ぎなかった。その後、矢貫は常磐大、三菱ふそう川崎を経て、2008年ドラフト3位指名を受けて日本ハムに入団する。

 松原は矢貫のシンデレラストーリーを知って、「俺も太鼓を叩こう」と決める。高校3年夏の甲子園メンバーから漏れた松原は、アルプススタンドで応援することが決まっていた。「太鼓なら目立てる」という、ほのかな野心もあった。この時は、まさか自分も矢貫と同じような道を歩むとは想像もできなかった。

 投手なら、矢貫のように晩成型の選手が高校卒業後に大化けするケースはまま見られる。だが、松原のように高校3年夏の大会でベンチ入りを逃した野手がプロ野球選手になり、規定打席に到達するほどの大出世を果たしたケースは今までにあったのだろうか。

 感慨を込めて、松原は言う。

「プロに行くための道が何千通りとあるとしたら、僕なんてたぶん『これしかない』というたったひとつの道をたまたま行けただけだと思うんです」

 大きな分岐点になった高校、大学時代を中心に、松原聖弥の数奇な野球人生を追いかけてみよう。

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著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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