松原聖弥は恩師の言葉を糧にプロ野球選手となった 仙台育英ではベンチ外も経験し陸上部に転部 (4ページ目)
小杉も松原と同様にイップスだったが、主将としてチームを引っ張る立場からベンチ入りを果たしている。小杉は「応援を頑張るわ」と気丈にふるまう松原の姿を記憶している。
「張り切って応援をやってくれたり、練習ではバッティングキャッチャーを手伝ってくれたり、すごく協力的でした。松原だけでなく、ベンチを外れた3年生もみんな輪のなかに入っていましたね。強くない学年でしたけど、仲だけはよかったので」
3年夏の甲子園では2勝を挙げ、3回戦で作新学院(栃木)に2対3で敗れた。松原はそれまで太鼓を叩いた経験はなかったものの、「センスで乗りきりました」と語る。
【夏の甲子園後に陸上部へ転部】
甲子園が終わったあと、松原は佐々木に呼ばれて意外な命を受ける。
「陸上部に行け」
当時、強豪として知られた仙台育英陸上部の駅伝メンバーの主力10名が一斉に転校する騒動があった。そこで、校内の運動部から1人ずつ陸上部に派遣し、駅伝大会に出場することになったのだ。
佐々木は松原の「足」を高く評価していた。
「松原はべらぼうに足が速かったですから。ほかの人にはない武器だし、これだけで生きていけるんじゃないかと思ったくらいで。野球では苦労したから、陸上部がああなった時に『行ってみたら?』と提案したんです」
松原は野球部を退部し、陸上部に転部する。だが、結果的に佐々木が「餅は餅屋でした」と振り返るように、松原は早々に挫折している。
「陸上部は転校せずに残った子たちでもすごくて、全然歯が立たなかったです。練習はきついし、『みんな引退して遊んでるのに、なんで自分はまだ部活やってるんやろ』と思ってしまって......」
駅伝メンバーから漏れ、松原の陸上人生はあえなく潰えた。
そして卒業シーズンを迎えた時、松原が「めっちゃ印象に残っています」と振り返る出来事があった。「3年生を送る会」で監督から3年生一人ひとりにメッセージを送る際、佐々木は松原にこう告げたのだ。
「おまえには大いに期待してるよ」
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