つば九郎が語っていた夢「いしかわくんの200しょうのはなたばをわたすこと」連載担当記者が振り返る取材の思い出 (3ページ目)
石川雅規の200勝の花束を渡したい──。胸が苦しくなる言葉だ。......そうだ、このとき僕は無意識のうちに「一石三鳥」というフレーズを口にすると、即座に「そのことばは、しようきんし! とりにいしをなげないで!」と叱られたことを思い出した。確かに、鳥に対して「一石三鳥」とは失礼すぎる言葉だった。反省すると同時に、絶妙な返しにあらためて感心したものだった。
【つば九郎が語った忘れられない言葉...】
そのなかでも、もっとも忘れられないのが「小学3年生の男の子」からの相談だ(第31回)。少年の悩みは、次のようなものだった。
「僕はまだ小学校3年生ですが、つば九郎が自分より先にいなくなるのが今から心配です。どうすればよいでしょうか」
この悩みに対して、はたしてどんな回答をするのか? 興味津々だった。するとつば九郎は、それまでにない真面目なトーンで、こんな回答をする。
ものごとにはじゅんじょがあります。とうぜん、ぼくのほうがさきにいなくなるとおもうので、こころのじゅんびをしていてほしいな。
一瞬、言葉を失ってしまった。つば九郎の口から「死」に関する言葉が出てくるとは予想もしていなかったからだ。その後はいつものように絶妙なユーモアを交えながらの回答となったけれど、やはり最後も真面目なトーンで、こう結ぶ。
くれぐれも、ものごとにはじゅんばんがあるので、つばくろうよりさきにいかないように。
相談者である小学3年生の男の子は、この回答をどのように受け止めたのだろうか? そして今、つば九郎の担当スタッフの訃報を知って、どんな思いでいるのだろうか? 想像しただけで、胸が締めつけられるような思いになる。前述したように、連載は第65回目まで続いた。連載の最後に「読者へのメッセージを」と頼むと、つば九郎はこう言った。
「なやんでるうちが はな。 いきてます!!」 いままで、ありがとう〜。また、あいましょう〜!
「また、あいましょう〜!」と、つば九郎は言った。今はまだ目の前の現実を受け入れることはできないけれど、またどこかでつば九郎に会えるんじゃないか、僕はそんな気がしている。
悲しみに包まれつつ、この「人生相談」連載を振り返ると、いつものつば九郎の姿が鮮やかによみがえってくる。今後、どうなるのかはまだわからないけれど、今はただ「ありがとう」と「お疲れさまでした」と言うことしかできない。本当にどうもありがとうございました──。
著者プロフィール
長谷川晶一 (はせがわ・しょういち)
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターとなり、主に野球を中心に活動を続ける。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。主な著書に、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ──石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)、『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)、『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』(KADOKAWA)ほか多数。近刊は『大阪偕星学園キムチ部 素人高校生が漬物で全国制覇した成長の記録』(KADOKAWA)。日本文藝家協会会員。
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