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野球殿堂入りを果たした岩瀬仁紀 吉見一起が語る鉄腕クローザーの素顔「誰よりも準備し、誰よりも緊張していた」

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

 元中日の絶対的守護神・岩瀬仁紀氏が野球殿堂入りを果たした。「通算407セーブ」「1002試合登板」など、驚異的な記録を残し続けた岩瀬氏。プロ野球史に残る「鉄腕クローザー」は、どのようにして圧倒的な存在となったのか。チームメイトだった吉見一起が明かす、その素顔と哲学とは?

通算407セーブ、1002試合登板など、数々の伝説的記録を残した岩瀬仁紀氏 photo by Sankei Visual通算407セーブ、1002試合登板など、数々の伝説的記録を残した岩瀬仁紀氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【落合監督から絶大な信頼】

── 吉見さんが入団する前年の2005年、10歳上の岩瀬さんは、セ・リーグ記録の46セーブを挙げ、守護神としての地位を築いていました。当時の印象は?

吉見 セーブという記録がつくのはプロ野球だけなので、社会人野球から入ってきた当初は正直な話、「セ・リーグ記録の46セーブ」のすごさにピンときませんでした。ただ、セーブがつく場面でいつも送り出され、落合博満監督の「岩瀬で負けたら仕方ない」という発言からしても、常人にできる役割ではないなと感じていました。

── 2007年の日本ハムとの日本シリーズでは、山井大介投手との「継投・完全試合」もありました。

吉見 山井さんの右手の指の皮がむけたなど細かな真相は別にして、やはり最後をまかされたのは「岩瀬さんあってこそのチーム」だったことを象徴していた出来事だったと思います。しかも期待どおり3人で抑えて、「継投・完全試合」達成と同時に、チームを日本一に導くのですから、すごい投手です。あれ以上の緊張はなかなかないと思います。

── 岩瀬さんというと"死神の鎌"の異名を取った右打者への内角のスライダー、左打者へのシュートが武器でした。

吉見 岩瀬さんは、ふつうに投げたストレートが少しスライダーの変化をする「まっスラ」に加え、鋭く大きく曲がるスライダーを持っていました。打者からすると、かなり打ちにくかったと思います。谷繁(元信)さんが捕手として受けた"球種別ベスト3"で、左投手のスライダー、シュートは間違いなく岩瀬さんが一番だそうです。

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