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ヤクルト・丸山和郁が青木宣親から授かったアドバイス 苦悩と試行錯誤の先に希望が見えた

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 ヤクルト・丸山和郁のプロ3年目は喜怒哀楽に満ちていた。2月は試行錯誤の繰り返しに思案顔となり、春は「自分がやってきたことに初めて信じることができています」と打撃好調に笑顔がはずみ、夏は「何がなんだかわかりません」と失意の表情を浮かべていた。

 秋のフェニックスリーグ(宮崎)では、凡打にバットを叩きつけてしまったことに「情けないです」とイライラを募らせたが、秋季キャンプ(愛媛・松山)の打ち上げ前日に「原点ができたかもしれません」と、目を輝かせてオフシーズンに入った。

プロ3年目の今季、自己最多の96試合に出場したヤクルト・丸山和郁 photo by Koike Yoshihiroプロ3年目の今季、自己最多の96試合に出場したヤクルト・丸山和郁 photo by Koike Yoshihiroこの記事に関連する写真を見る

【シーズン序盤は打率3割超えの快進撃】

 今シーズン、丸山の前半戦の活躍はチームに新鮮さをもたらした。自然体のフォームから面白いようにヒットを重ね、5月12日の時点では打率.347をマークした。

「一番はタイミングが取れたことで、ピッチャーの真っすぐを速く感じなくなり、思ったところにバットが出て、イメージしたところにヒットが出ていました。でも、本当の意味での好調ではなかったですね。春先に『これだ!』と思ったのですが、結局は土台のない急造のフォームでした。それがいいほうにハマり、2、3カ月続いただけで......たまたまの要素が大きかったのかなと」

 5月半ばを過ぎると、ヒットは出るがマルチ安打がなくなっていく。その後、頭部への死球、打球を追ってフェンスに激突し脳震盪で登録抹消されるアクシデントもあった。7月16日の中日戦(神宮)で約2カ月ぶりのマルチ安打が出た時には、打率は.267まで落ちていた。

「これだけ長いイニング出ることは、自分にとって未知の世界でしたし、試合終盤になると疲れも出てきてしまって......脳震盪の影響はないです。死球を頭にもらって、ちょっとビビってしまったくらいのものです(笑)。前半戦にスタメンで出させてもらって、年間を通して戦える体力というものについて経験できたのは大きな収穫でした」

 ところが8月に入ると、好調時のフォームは見る影もなく、三振と引っかけたゴロアウトがほとんどで、26日に登録抹消されるまでの成績は22打数1安打。

「あの時期は頭の中がパニックでした。野球が早く終われと思うほどきつかったです」

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著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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