江川卓も認めた「すばらしいピッチャー」 最強の控え投手・大橋康延はいかにして高校3年間を過ごしたのか (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 今から50年ほど前のことだから、何を聞いても「覚えてないなぁ」の一点張りだったが、当時の資料を見せると目を覚ましたかのように声のトーンも一段階アップし、こう語った。

「けっこう抑えてんじゃん。だから、江川がいなかったらエースだって言われたりしたのかな」

 そして続けた。

「江川もすごいけど、私の防御率もすごかったんですよ。公式戦、練習試合を含めて、ほとんど打たれた記憶がないんですよ。自信はあったんです」

 あの当時、「江川に勝ちたい」と本気で思っていたのは、間違いなく大橋が一番だろう。

 1年夏に江川の完全試合を見て、一度は高校野球が終わった。だが、甲子園のマウンドに立ったことで再び目標が芽生え、「江川に負けたくない」というライバル心がメラメラと燃え上がった。最後の夏、「もう一度、甲子園のマウンドに立つ」という目標は叶わなかったが、「負けていない」と思えるほどの自信を得た。

 それだけに夏の甲子園2回戦の銚子商との試合は、大橋にとって別の意味で忘れられないものになった。

(文中敬称略)

江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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著者プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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