江川卓も認めた「すばらしいピッチャー」 最強の控え投手・大橋康延はいかにして高校3年間を過ごしたのか (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 ブルペンでいつも大橋の球を受けていた控え捕手の中田勝昭が証言する。

「高校3年の夏は、江川よりも大橋のほうが断然よかったです。一度、監督に『大橋のほうがいいです。ボールの伸びが全然違います』と言ったんです。すると監督から『そうは言っても、江川を使わないわけにはいかない』と返されまして......」

 当時、高校3年時に江川と対戦したことのある選手に聞いても、「明らかにスピードは落ちていた」と声を揃える。

 一方の大橋は、まるで江川の不調を見越していたかのように万全だった。

「調子はよかったですよ。投げたら抑える自信はありました。でもマウンドに上がれない。どうして使われなかったのかって? そりゃわからないです。監督に聞いてくださいよ(笑)」

 そう豪快に笑い飛ばすが、調子がいいのに投げられないのは、ピッチャーとしてこれほどつらいことはない。

「夏の甲子園で最後の試合となった銚子商戦は、すごく投げたかった。江川があんなに三塁走者をためたところなんて、見たことなかったですし」

【ほとんど打たれた記憶がない】

 公式戦で投げることはほとんどなかったが、遠征は大橋にとって絶好の登板機会だった。

 高校3年春のセンバツ準決勝で広島商に敗れたが、江川擁する作新の名は全国に轟き、おびただしい数の試合が申し込まれた。

 金曜日に学校を出発し、土日に試合をして、月曜日に帰ってくるというサイクルで、5月、6月の大事な夏の準備期間を遠征に明け暮れた。土曜日に1試合、日曜日に2試合の計3試合があるとすれば、土曜日、日曜日の第1試合は江川、日曜日の第2試合は大橋が先発する。

 遠征や練習試合が多ければ多いほど、投げる機会が増える、大橋にとっては願ってもないチャンスだった。内容も江川に負けず劣らずで、ほとんど点を取られていない。4月下旬に行なわれた銚子商との練習試合では、大橋は2試合目に投げて2対0で完封勝ちしている。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る