佐々木朗希はいつ自らの速球を再発見したのか リリーフとしての成功を導き出したドジャースの組織力
佐々木は地区シリーズまでのプレーオフ4試合で5回1/3を投げ、5奪三振、自責点0 photo by Kyodo News
後編:佐々木朗希の復活劇とドジャースの組織力
プレーオフに入り、ドジャースの中継ぎ・抑え投手として、圧倒的な存在感を見せている佐々木朗希。5月下旬に故障者リスト入りして以降、9月下旬にロスターに戻るまでは、特定の動作をしたときだけ痛みが出るの原因究明に取り組んできたが、なぜそれほど長い時間をかけることができたのだろうか。
そこには、選手を長い目で見る育成力と、それを可能にするメジャー屈指と言えるドジャースの組織力と資金力があらためて浮かんでくる。
前編〉〉〉佐々木朗希がリリーフエースとなった背景にあったものとは
【高校時代の映像をヒントに自らの改善点を発見】
佐々木が故障者リスト入りしている期間、チームドクターのニール・エラトラッシュが回復プランを立て、再発への不安を取り除く話し合いの機会を設け、ストレングスコーチのトラビス・スミスとともに、主に下半身の筋力強化に取り組んだ。
8月5日、佐々木は約3カ月ぶりのメディア対応。「トレーニングや治療をしながら、なぜ痛みが起きているのかを突き止めることができて、そこから投球フォームにどう落とし込んでいくかという作業を続けていました」と説明した。この時点でロバーツ監督は、佐々木に「先発として復帰するためには、マイナーの試合で5イニング・75球を投げられるようになってほしい」と伝えていた。しかしながらそこまではいかなかった。最速は97.8マイル(156.5キロ)を計測したものの、最初の4試合で計14イニングで17被安打、11自責点と不安定な内容だった。
しかもドジャースの先発投手陣は復帰組が活躍し、入りこむ余地がなかった。エースの山本に加え、スネルとグラスノーも復調。大谷翔平も調子を上げ、若手のシーハンも安定していた。ロバーツ監督は山本について「内容も球の質もまだ足りない。ポストシーズンでの起用は考えていない」とほぼ断言していた。しかしながらその一方で、ドジャースのブルペンは悲惨な状況だった。リリーフ陣の防御率は4.27でメジャー21位。73回あったセーブ機会のうち、成功は46回と成功率63%。新加入のタナー・スコットは移籍1年目で10回もセーブに失敗。トライネンやカービー・イェーツも結果を残せず、明らかにチーム最大の弱点だった。
そんななか、9月9日の3Aの試合で佐々木が最初の4回を無失点に抑え、8奪三振、100マイルを超える速球を6度も記録したという報が入った。それを聞いたロバーツ監督はこう語った。「みんなで集まって、次のプランを決めないといけないね」。
首脳陣は急遽、佐々木の期限限定のブルペン起用を決断、本人に打診し、了解を取りつけている。そしてその次の3A登板からリリーフ転向。再び100マイル(160キロ)を記録し、1回を被安打1無失点、2試合目は1回をパーフェクトで抑えた。
なぜ、なかなか出なかった100マイルの直球がよみがえったのか。スポーツ専門局『ESPN』電子版のジェフ・パッサン記者が、9月初旬に行われたドジャースのピッチング開発部門の責任者ロブ・ヒルによるメカニック矯正が劇的な効果をもたらしたと報じている。この記事は日本でも広く紹介された。佐々木はその件についてこう振り返る。「アリゾナでピッチングコーチの方と話をして、どこが問題かを聞いたんです。自分の中でうまくいっていないと感じていた部分と一致するところがあって、そこで悪かった要因はこうだという確認ができました」。とはいえ、それがすべてではなかった。
佐々木は『ロサンゼルス・タイムズ』紙の取材に、課題の根本原因については同意したが、修正へのアプローチは少し違っていたと明かしている。なぜ投球フォームのなかでエネルギーをロスしてしまうのか。佐々木は9日の登板前夜、ホテルの一室で食事をとりながら高校時代の映像を見返した。高く上げる足のフォームは今も変わらなかったが、その後の動作が明らかに違っていた。昔の自分は、踏み出し足を着地させる前から、もっと爆発的な動きをしていた。「これだ」と心のなかでつぶやくと、そのまま部屋でシャドーピッチングを始め、その結果、翌日の試合で速球を再発見したのだという。
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著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。

