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江川卓に対し「裏切り者のチームに負けるな」9回まで無安打投球も小山高の執念に屈し作新学院は甲子園出場を逃した (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 この時、作新ベンチ内はスクイズを警戒して「外せ」のサインを出す。ところが、作新のキャッチャーはカーブのサインと勘違いしてしまった。江川はサインに頷き、セットポジションから投球モーションに入る。

「スクイズだ、外せ!」

 作新の部長・山本理はベンチから大声で叫んだが、遅かった。江川が投げた渾身のカーブをバッターはスクイズ。投手前に絶妙な形で転がし、江川はマウンドから脱兎のごとく駆け下りボールを処理しようとしたその時、足を滑らせ尻もちをついてしまった。江川は、このシーンを今でも鮮明に覚えている。

「ベンチは『外せ』っていうサインだったらしいんですけど、キャッチャーがカーブと間違えたみたいで......それでカーブを投げたんです。タテに曲がるカーブだったのですが、バッターがバットをタテにしたんです。ウソみたいでしょ(笑)。で、尻もちをついたんじゃなく、捕って投げようとしたんですけど、右ヒジが地面について投げられなかったんです。次の日の新聞に"江川、尻もちついた"と出たんですけど、横になりながら投げようとしたんです。それができなかった。練習していなかったんで(笑)」

 三塁走者の金久保は悠々とホームインし、泥だらけになりながら飛び上がって大粒の涙を流した。

 0対1、作新のサヨナラ負け。江川がこの日投じた105球目は、まさに両者の明暗を分ける1球となった。小山高の小林監督は試合後、「(試合が)長引けば勝てると思いました」とコメントしているが、実際はどうだったのだろう。後年、小林監督はこう語ったという。

「高校生じゃ、江川の球を打てるわけがねぇ。ありゃ打てねえ」

 勝負は時の運と言うが、作新を応援するファンはこの試合の結果を黙って見すごすわけにはいかなかった。作新ファンにとっては予想もしないサヨナラ負けに、堪忍袋の尾が切れたのか、痛烈なヤジが球場にこだました。

「バカヤロー、江川を見殺しにするのか。打てねぇで勝てるか!」

 ヤジだけでなく、石や空き缶を投げつける始末。球場は騒然とし、作新ナインはなかなかベンチから出ることができなかった。

後編<江川卓の投球に「高校生のなかにひとりだけメジャーリーガーがいる」対銚子商戦で1安打20奪三振の快投→甲子園出場を決めた>を読む


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

著者プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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