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高橋尚子のシドニー五輪金メダル「すごく楽しかった42kmでした」の裏にあった「怖くて、長かった最後の200m」

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

シドニー五輪・女子マラソンのテレビ視聴率は平均40%を超えた photo by HACHETTE PHOTOS PRESSE/GAMMA/Afloシドニー五輪・女子マラソンのテレビ視聴率は平均40%を超えた photo by HACHETTE PHOTOS PRESSE/GAMMA/Aflo

【不定期連載】五輪の42.195km レジェンドランナーの記憶.4

高橋尚子さん(中編)

 陸上競技のなかでもひときわ高い人気と注目度を誇るマラソン。五輪の大舞台で世界の強豪としのぎを削った、個性豊かな日本人選手たちのドラマは、時代を越えて人々の心を揺さぶる。

 そんなレジェンドランナーの記憶をたどる本連載。今回は2000年シドニー五輪で金メダルを獲得し、国民栄誉賞を受賞した他、世界記録の更新など数々の金字塔を打ち立てた「Qちゃん」こと高橋尚子さん。全3回のインタビュー中編は、シドニー五輪の激闘、その後の周囲の喧騒を振り返ってもらった。

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【不定期連載】五輪の42.195km レジェンドランナーの記憶

【Qちゃん、明日は好きなように走ってこい】

 2000年9月に開催されたシドニー五輪、高橋尚子はリラックスした状態で決戦の日を迎えようとしていた。

「現地に行くまで毎日、体が重いなかで練習を積み、ずっときつい状態が続くんですが、レース前の1週間は調整期間になるんです。徐々に体が軽くなって、しかも、きつい練習をしなくていいのでラッキーだと思っていました。このままいけばレースでは42.195kmをしっかりコントロールできる。その自信はありましたね」

 調整は順調に進み、レース前日、小出義雄監督の部屋に呼ばれた。レースプランを告げられるのかと思ったが、こう言われた。

「Qちゃん、明日は好きなように走ってこい。ただ、出し惜しみだけはするな。俺は20kmと30kmにいるからな」

 高橋は「出し惜しみ?」と思いながらも、その言葉には引っかかりを覚えた。

 当日のスタート前も特に緊張することなく、控室では中央に座し、周囲の選手を見渡していた。そうしたのはある経験からだ。実業団入社1年目の1995年、高橋は国際千葉駅伝に出場した。海外各国の代表はもちろん、日本代表の選手もいて、非常にレベルの高い大会だった。そんななか、格下である千葉県選抜の一員だった高橋は、他の選手の邪魔にならないように控室の隅で待機していたのだが、その時、知り合いの友人にこう言われた。

「Qちゃん、そんな端っこで縮こまっているようじゃ、走る前に負けているよ」

 その時は実績もなく、「いやいや」と思ったが、今回、それを思い出した。

「一番真ん中に座り、全体を見渡しました(笑)。『あの人はもう負けているな』などと客観的に見られるほど余裕がありました。たぶん、周囲の人は私を見て、あの人は余裕があるなと見ていたと思います」

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。近著に「箱根5区」(徳間書店)。

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