高橋尚子のシドニー五輪金メダル「すごく楽しかった42kmでした」の裏にあった「怖くて、長かった最後の200m」 (3ページ目)
【国民栄誉賞を受賞し、「Qちゃんフィーバー」に】
シドニー五輪後には国民栄誉賞を受賞。それまで以上の大きな注目を集めた photo by Sano Miki , hair&make-up by Komori Maki(337inc.)
そこからは先頭を一度も譲らずにスタジアムへ。トップで入ってきた高橋を、8万人の大観衆が歓声と拍手で迎えた。
「スタジアムのゲート内で一瞬、静寂が訪れるんです。そこからトラックに入ってきた時の大歓声は本当に感動して、今も忘れられないですね。『この歓声は私のものだ』と思って走りました。ところが、声援のトーンがちょっと変わって、ふと大型ビジョンを見たら、後ろにシモン選手が迫っていたんです。これは歓声じゃない。悲鳴だと(苦笑)。あと200m頑張らなければと思ったんですけど、全然力が入らなくて。すごくきつくて、怖くて、長い200mでした」
レース直後のインタビューでは「すごく楽しい42kmでした」と振り返ったが、最後の最後は苦しんだ。ガッツポーズをしながら金メダルのゴールテープを切った8秒後、シモンが続いた。
「ゴールした時は、小出監督、トレーナー、栄養士さん、みんなの仕事のすばらしさを金メダルで証明できたことでホッとしました。同時に、もう五輪が終わってしまうんだという寂しさもあり、ふたつの感情が交差していました」
念願の金メダルを獲ったが、なかなか実感は湧いてこなかった。その日は取材などをこなし、深夜2時過ぎに部屋に戻り、小出監督とカップ麺1個を分けて食べ、そのまま夢の中に落ちていった。
「五輪で金メダルを獲ったら世界がバラ色になるのかなと思っていましたが、いつも通りに朝練に出ると、誰も集合していなくて。でも、せっかくなのでそのまま走ったのですが、景色は何も変わらない。でも、変わらなくていい。夢の世界に行ってしまいそうなところを現実に引き戻してくれて、私にとってはすごくいい朝練になりました」
だが、その頃、日本はとんでもない騒ぎになっていた。陸上では64年ぶりとなる五輪の金メダルである。しかも、人気の高いマラソンだ。高橋はそれまで以上の人気者になり、街で声をかけられる機会も格段に増えた。
応援してくれる人が増えること自体は非常にうれしかった。だが、たとえば街中でひとりにサインをしてしまうと、そこから行列になり、途中で断るのも申し訳なかった。その後も10月30日に国民栄誉賞を受賞するなど、「Qちゃんフィーバー」が続いた。
「注目されて応援されるのはすごくうれしかったんです。でも、私自身は弱い選手ですし、練習をやらないと弱い自分に戻ってしまうので、すぐに練習したいと思っていました。その時、監督に『五輪に出て金メダルを獲った選手がテレビに出たりして活躍しないと、これから陸上選手になりたいという子がいなくなるぞ。金メダルを獲ったらこんな華やかな世界を経験できる。その世界を見せることが五輪で金メダルを獲った選手の責任だし、役割でもある』と言われたんです。確かにそれはそうだけど、でも、私は練習がしたいという葛藤がしばらく続きました」
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