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高橋尚子のシドニー五輪金メダル「すごく楽しかった42kmでした」の裏にあった「怖くて、長かった最後の200m」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

【30km地点にいるはずの小出監督の姿がなかった理由】

 レースはスタートから順調に進んだものの、中盤までに給水を二度取りそこねた。

「想像以上にレースがスムーズに動いていたので、(給水所を)見落としてしまったんです。17.5kmでゼネラル(主催者が用意する水)を取れなかった時には、山口(衛里)さん(天満屋)が渡してくれました。(同じ日本代表とはいえ)レースではライバルなのに、私に水を渡してくれたことに感動しました。前を行く市橋(有里)さん(住友VISA)も取っていなかったので、このうれしさを前にも届けようと思い、ペースを上げて渡しにいったら、そのままペースが下がらなくなってしまいました(笑)。

 本当はラストに向けて力を溜めてと考えていたのですが、この時、監督の『出し惜しみするな』という言葉がふと頭に浮かんだんです。最後を考えて集団で行くよりも、今、ここで前に行けるだけの力があるのであれば、出し惜しみせずに前に出て、自分のレースにしてしまおう。このまま行っちゃえと切り替えました」

 そうして17.5km地点で最初の仕掛けを行なうと、集団は徐々に小さくなっていった。20km地点では小出監督が待っており、高橋にこう声をかけた。

「(テグラ・)ロルーペがいないぞ!」

 世界記録保持者のロルーペ(ケニア)は、高橋が最も警戒していた選手だった。ロルーペがいないことはわかったが、後ろに誰がついているのかも教えてほしかった。小出監督は30km地点でも待っているはずなので、そこで後方の状況を教えてもらおうと考えた。ところが、30km地点に小出監督の姿はなかった。

「ありえないですよね(苦笑)。20kmでロルーペ選手がいないとわかった瞬間、監督は勝ったと思い、勝手に30km地点に行くのをやめて、ビールを飲みながらゴール地点に向かったそうなんです。私は走っているからわからないですよね。たったふたつのレース前の決めごとなのに(笑)」

 その30kmを過ぎてからは、デッドヒートを繰り広げていたリディア・シモン(ルーマニア)に対してスパートをかけるタイミングの見極めに入った。

「スパートは、相手がちょっと落ちていて、なおかつ、自分は残りの距離を行けるという自信と脚の余力の3つが重ならないとゴーサインを出せない。その瞬間を見逃してはいけないので、頭をクリアにさせるためにも、まず30kmでサングラスを外して小出監督に渡そうと思っていたんですけど......。そうしたら、ちょうど反対車線の車道に父がいたので、ラッキーと思って投げました」

 その後、34km地点で一気に前に出た。

「五感を研ぎ澄ましてシモン選手の呼吸音や足音を確認しながら、前に出るタイミングを考えていました。ロングスパートは一発で決めるのが自分のモットーで、仕掛けて、相手についてこられると失敗なんです。失敗したスパートは100%のパワーのうち30%くらい消費してしまいますし、精神的なショックも大きい。だから、相手の状態を見極めてスパートをかけたんですが、私が前に出てから3秒くらい反応がなく、ついてきませんでした。『よし、行けるところまで引き離そう』と思いました」

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