元千葉ロッテ・大嶺祐太が歩むセカンドキャリア「野球界に残らなかったことが『正解だった』と思えるように」 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 長谷部英明●撮影 photo by Hasebe Hideaki

【野球との縁は切っても切れない】

 15年間在籍したマリーンズを離れて1年間プレーしたドラゴンズで気づいたこともたくさんあった。

「名古屋で野球との区切りをつけようという思いもありました。最後まで、野球をやり切って、ここでダメなら野球界から離れようという気持ちがありました。

 日本には12球団しかないけど、それぞれの球団に個性というか色があることを知りました。もしロッテだけだったら気づかなかったでしょうね。いい社会勉強ができました。こっちでいいとされることが、一方ではダメということもたくさんありましたから」

 ドラゴンズで戦力外を通告された時、大嶺は働き場所をプロ野球に求めなかった。

「ロッテを離れる時に球団から職員として誘っていただきましたが、それをお断りして中日に行ったという経緯もあります。引退を決めて『もう野球と関わらなくてもいい』とほっとした部分もあって。

 一方で、石垣の野球の後輩が引退を記念したイベントをしてくれたんですが、その時に野球との縁は切っても切れないと強く思いました。でも、仕事となれば別ですね」

 引退から1年が過ぎた。今、大嶺は東京の下町、門前仲町で「創作ダイニング HA-LY 爬竜船」を経営している。

「子どもの頃から大家族で育ち、いつも賑やかに食卓を囲んでいました。そんな雰囲気が好きで、以前から飲食店をやってみたいなと思っていました」

経営する店舗では、大嶺自身も厨房やホールに立つこの記事に関連する写真を見る
開店から約半年あまり、大嶺はスタッフとともに慣れないサービス業に全力を注いでいる。

「スタッフのスキルも少しずつ上がり、できることが増えてきました。まだまだではありますけど、いい食材をできるだけ安く仕入れて、おいしい料理を提供して、お客さまに楽しんでいただければと思っています。注文から食事をお出しするまでの時間も短縮できてきて、いろいろなところで成長を実感しています」

 時にはミスをすることもある。そんな場面で、プロ野球での経験が生きると大嶺は言う。

「もちろん、ミスをしたら謝るのは当たり前なんですが、それを素早く、さりげなく、できるかどうか。僕がさっと『すみません』と言えるのは、18歳でロッテに入団して、先輩や球団関係者の皆さんにいろいろなことを教えてもらったから。これが自然にできるのは、お世話になった方々のおかげですね」

店内には大嶺さんが使用していたグラブもこの記事に関連する写真を見る元チームメイトらからのお祝いも所狭しと並ぶこの記事に関連する写真を見る

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