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【ドラフト】大阪桐蔭・中野大虎が明かす大学進学からプロ志望に変わった理由 「正月に神社に行ったら...」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

大阪桐蔭・中野大虎インタビュー(後編)

 大阪桐蔭の歴代キャプテンには、卓越したキャプテンシーを誇る選手たちが数多くいたが、中野大虎(だいと)もまた、その系譜に名を連ね、記憶されていくであろうキャプテンだった。

 その中野が、ここからは投手として生きていく。では、"投手・中野"は何を持っているのか。

大阪桐蔭のキャプテンにしてエースの中野大虎 photo by Tanigami Shiro大阪桐蔭のキャプテンにしてエースの中野大虎 photo by Tanigami Shiroこの記事に関連する写真を見る

【頭をフル回転して打者を抑える実戦派】

 中野が登板した試合のあと、監督の西谷浩一がほぼ決まって口にするひと言がある。

「しっかり相手を見て投げてくれました」

 投手としてのタイプを端的に表現するなら、"実戦派"となるだろうか。西谷が中野を語るなかで、よく澤田圭佑(現・ロッテ)の名前が出た。2012年、藤浪晋太郎(現・DeNA)との両輪で、春夏連覇のチームを支えた右腕だ。澤田も先発、リリーフといったポジションや起用の場面を問わず、常に気合を入れて投げ、チームに流れを呼び込む"頼れる男"だった。

 中野は高校2年春の選抜で甲子園デビュー。リリーフで3試合を投げた。連続出場となった夏は、初戦の興南(沖縄)戦に先発してシャットアウト。本人は「あの試合は球が走らず、スライダーも抜けて、フォークもイマイチ。終わってみたら......という完封でした」と振り返ったが、状態が悪いなかでも完封するあたりはさすが"実戦派"。

 間合い、足の上げ方なども一球一球工夫し、そこへ豊富な球種を組み合わせる......と書きながら、決して中野はテクニックや駆け引きに頼った投手ではない。

 今夏の甲子園のあとに開催された世界大会(WBSCU−18)では、リリーフしたパナマ戦で150キロをマーク。それだけのボールを投げる"能力"と、頭をフル回転させて打者を抑える"脳力"。もっと評価されていい投手だと、いまさらながら思えてきた。

【体の仕組みを研究中】

 ただ、春から夏へと向かう過程を振り返ると、ストレートの勢いや質、そして得意のスライダーの曲がり具合を含めて、強調材料が乏しく感じられた。

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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