元千葉ロッテ・大嶺祐太が歩むセカンドキャリア「野球界に残らなかったことが『正解だった』と思えるように」 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • 長谷部英明●撮影 photo by Hasebe Hideaki

【なぜ16年間もプロでプレーできたのか】

 右ひじの手術・リハビリの間に、大嶺は何を思ったのか。

「それまでが最悪だったので、手術をすることが決まってからは吹っ切れたというか、『ひじさえ治れば、また前のように投げられる』という、自信みたいなものがありました。それまでは、日によって気持ちが上がったり下がったりしていたんですけど、リハビリの間にそういうことがなくなりました」

 対戦相手を気にすることなく自分と向き合うことで、大嶺の何かが変わった。

「手術前は、まわりの期待に応えられていないという気持ちがありました。『ドラ1なのに......』とか思っていました。でも、そういうことを気にせずに、しっかりと準備をすることだけを心がけました」

 2021年12月、育成選手として中日ドラゴンズに入団。二軍で11試合に登板したものの、一軍での登板はなし。10月に戦力外と告げられ、ユニフォームを脱いだ。

 プロ16年間の通算成績は、129試合に登板(85先発)、29勝35敗、1ホールド、防御率4・72。

「プロに入る時、こんなに長い期間、野球をやれると考えていませんでした。正直、成績も十分ではなかったのに、どうして16年間もプロでやれたのか。それは、いろいろな人に助けてもらったおかげだと思います」

プロ野球という世界で、大嶺はその才能を開花させることはできなかった。エースになることを期待された男はこの16年間をどう振り返るのか。

「ストレートだけでは通用しないと気づいてから、いろいろな工夫をしました。でも、自分の場合は、その日、マウンドに上がってみないとどうなるかわからなかった。調子のいい時は打たれないけど、そうじゃない時は崩れてしまう」

 コーチに「いいバッターでも3割しか打てないんだから思い切って投げろ」と言われても「その3割の中に絶対に俺が入ってる」と思い込んでしまう。

「自信を持ってマウンドに上がっても、1本ヒットを打たれたらマイナスな気持ちになることが多かったですね。順調に抑えていても、急に不安になったり......。丁寧に丁寧に投げることだけを考えていました。ただ、現役の最後のほうは、やるべきことをやればいいと思えるようになりました」

多少コースが甘くてもいいから強いボールを投げようと思えたのは、30歳を過ぎてからだ。

「気づくのがちょっと遅かったかな?」と大嶺は笑う。

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