大谷翔平が1カ月強でドジャースに溶け込めた背景を現地取材 ブレーブスとの3連戦の舞台裏
大谷翔平はブレーブスとの3連戦でその存在を見せつけた photo by USA TODAY Sports/Reuters/AFLOこの記事に関連する写真を見る
メジャーリーグも開幕から1カ月強。ロサンゼルス・ドジャースは5月上旬、ナ・リーグの覇権争いのライバル、アトランタ・ブレーブスとの今季初の3連戦をスイープで圧勝。その原動力となったのは、大谷翔平だった。移籍1年目、MLBを代表するスーパースターでも新しい環境に適合するには時間がかかるものだが、それは大谷には当てはまらなかった。
大谷がいかにドジャースの一員としてチームに溶け込んでいるのか。現地ロサンゼルスからレポートする。
【圧巻の活躍で3連勝に導く】
5月3日~5日(日本時間は+1日)、ロサンゼルス・ドジャースがドジャースタジアムにアトランタ・ブレーブスを迎えた3連戦は、のちのち大谷翔平のキャリアのなかでも、特別なシリーズだったと振り返られるに違いない。
14回打席に立ち、12打数8安打2四球、3本塁打、6打点、2盗塁。今季最大のライバルと目される強豪に対し、打って、走って、圧倒。チームを3連勝のスイープに導いた。
5日の試合後、クラブハウスの入り口に近い通路で行なわれる日米記者の囲み取材。大谷は、「(ブレーブスは)すばらしいチームですし、みんな気合も入っていたんじゃないかと思います」と胸を張った。移籍の多いメジャーリーグで、新しい選手が心からチームの一員になれたと感じられるのは、期待に見合ったパフォーマンスを見せられた時。大谷は、この3連戦の活躍で7億ドル(約1050億円)の価値を証明できたと思った。
デーブ・ロバーツ監督も「翔平が初回にカーブを打って2点本塁打、チームを勢いづかせてくれた。(相手投手の)マックス・フリードはメジャーでもトップレベルの投手。その彼から本塁打を打った。おかげで3つ勝てた。とてもいいチーム相手にね」と満足そうに話した。
代名詞であるケタ外れのパワーも見せた。8回、センター左への461フィート(約141.4m)弾。ドジャースタジアムで数えきれないほど試合を見てきたが、左打者があそこまで飛ばしたシーンは、記憶にない。
ロバーツ監督も、目を丸くする。
「翔平は、我々が見たこともないことを、次々とやってのける。とてもよいスイングで打球速度は、111~112マイル(時速約178〜179キロ)は出ていた。普通あそこまで行くものじゃないし、本当に遠いところまで飛んでいった。しかも風は左から右に吹いて打球も押し返されたはずだよ」
ホームランだけではない。シリーズの流れを作ったのは、3日の第1戦。延長10回裏一死2塁、2対3と1点リードされた状況。大谷はブレーブスのクローザー、ライセル・イグレシアスのボールになる外角低めのチェンジアップを腕いっぱいにのばし、右手一本でとらえると、打球はダイビングする遊撃手と二塁手の間を抜けていった。背番号17番は一塁ベースを回ると両手を上に挙げ、「カモン!」と絶叫。昨春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝・メキシコ戦で見せた時のようにチームを鼓舞した。
あれだけ感情を表に出す大谷は珍しい、と関係者もファンも、驚きを隠せなかった。ドジャースは10月のポストシーズンに勝つために大谷を獲得したが、その前哨戦で大谷は躍動し、チームをけん引する姿を見せた。
1 / 3
著者プロフィール
奥田秀樹 (おくだ・ひでき)
1963年、三重県生まれ。関西学院大卒業後、雑誌編集者を経て、フォトジャーナリストとして1990年渡米。NFL、NBA、MLBなどアメリカのスポーツ現場の取材を続け、MLBの取材歴は26年目。幅広い現地野球関係者との人脈を活かした取材網を誇り活動を続けている。全米野球記者協会のメンバーとして20年目、同ロサンゼルス支部での長年の働きを評価され、歴史あるボブ・ハンター賞を受賞している。