巨人・松井颯の盟友、元明星大の159キロ右腕・谷井一郎はなぜ野球界から姿を消したのか
最速159キロを計測しながら、野球界から忽然と姿を消した剛腕がいる。
その名も谷井一郎。お笑い芸人・エレキコミックのボケ担当「やつい・いちろう」とは姓の読みが異なり、「たにい・いちろう」という。
明星大に在学した2022年にドラフト候補となり、4球団から調査書が届いた。だが、谷井は大学を卒業する段階でボールを置き、野球界を去っている。
剛腕はなぜ野球をやめたのか。その理由に迫る前に、まずは谷井がどんな投手だったのかを振り返ってみたい。
ダイナミックなフォームから最速159キロを記録した明星大時代の谷井一郎氏 photo by Kikuchi Takahiroこの記事に関連する写真を見る
【明暗分かれたドラフト会議】
一度でも投球フォームを見たことのある者なら、そのダイナミックさに強烈な印象を植えつけられたはずだ。セットポジションから左足のつま先を頭上よりも高く上げ、猛々しいアクションで右腕を叩きつける。全身の骨と筋肉、細胞までフル稼働させてボールを放つようなエネルギッシュなフォームだった。
とはいえ、生で谷井の投球姿を見たことがある野球ファンはごく限られるはずだ。首都大学リーグの2部と日の当たりにくい環境でプレーしていたこと。谷井の投球内容が不安定だったため、登板機会が定まらなかったこと。これらの要因から、谷井はドラフトファンの間でも「幻の剛腕」と見られていた。
筆者も谷井の噂を聞きつけ、その投球を見るために明星大グラウンドでの紅白戦に足を運んだことがある。しかし、谷井が登板する前に、別の右投手に目を奪われた。
松井颯(はやて)。スリークォーターから最速152キロを計測し、ホームベース付近でも勢いが衰えない剛速球は間違いなくドラフト上位候補と遜色なかった。谷井と同期の4年生で、同年春にかけて急成長していたのだった。
あとで知ったことだが、松井と谷井は切磋琢磨する親友だった。谷井は都立高の武蔵村山、松井は名門の花咲徳栄と育ってきた環境はまるで違う。だが、高校時代の松井は4番手格。大学進学後に谷井と出会ったことが野球人生の転機になったと、松井はのちに振り返っている。
「一郎とトレーニングやフォームについて話し合っているうちに、どんどんレベルアップしていきました。一郎がいなかったら、今の自分は絶対にいません」
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。