斎藤佑樹、ワンバウンド連発のプロ4年目の苦悩「けなされても喜べばよかった」と思う真意

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第47回

 プロ4年目の斎藤佑樹は、開幕から2週間、2度の先発のチャンスをものにすることができず、二軍行きを命じられた。そして2014年5月29日、斎藤は西武第二球場でのイースタンのライオンズ戦に登板する。しかし斎藤はこの試合でワンバウンドを連発した。スコアブックを辿ってみると、初回に投じた23球のうちワンバウンドが6球。3回にも3球、4回に6球、5回には4球、6回に1球......この日の94球のうち、20球がワンバウンドだった。

苦しい状況が続いたプロ4年目の斎藤佑樹 photo by Sankei Visual苦しい状況が続いたプロ4年目の斎藤佑樹 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【自分のボールに自信が持てない】

 あの日の所沢は、5月なのに真夏のような陽射しが照りつけたかと思えば、あっという間に黒雲が広がって、雷が轟くような不安定な空模様でした。

 もちろん、ワンバウンドだからすべてダメというわけではありません。ただ、コントロールが定まらずにフォアボールをやたらと出して一軍で結果を残せなかった直後でしたから、慎重になっていたことはたしかです。

 僕はワンバウンドを数えていたわけじゃないし、あの試合で何球あったのかは知りませんでしたが、必要なワンバウンドはあると思っていました。たとえば低めを突いたスライダーが、キレがあるからこそワンバウンドになるというのは珍しいことではありません。ワンバウンドになるフォークだって、思わずバットを出してしまうような落ち方をすればナイスボールです。そういうワンバウンドはピッチャーにとっての武器になります。

 でもあの試合のワンバウンドは、バッターにバットを出させることができていませんでした(20球のワンバウンドに対し、バッターは一度もバットを振っていない)。明らかにワンバウンドになってしまっていたのは、勝負にいくというよりも打たれたくない意識のほうが強かったからだと思います。

 たしかに今の僕なら、そこまで慎重にならなくてもストレートをポンポン、ポンポンとストライクゾーンに投げ込んでいけばいいのに、と思います。実際、あの試合でも4番に入っていた山川(穂高)選手、5番の森(友哉)選手のバットを真っすぐで押し込めていた記憶があります。

1 / 4

著者プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

フォトギャラリーを見る

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る