92年以降の阪神低迷に真弓明信は自責の念 亀山と新庄を「ちゃんと教育しとかなかった」 (5ページ目)
真弓自身は、93年以降も代打を中心に活躍。42歳の95年まで現役を続け、23年間で通算1888安打、292本塁打、886打点という成績を残した。引退後は2000年から04年まで近鉄のコーチを務め、09年から11年まで阪神監督。指導者としてもタイガースの歴史に名を残した真弓にとって、92年はどう位置づけられるのか。
「僕はいちばん年上だったこともあって、コーチにいろいろ言ったり、若い人に助言したりしたところからすると、その後の何年間も含めて、ものすごく勉強になったんじゃないかなと。それにしても92年に優勝していたら、阪神の歴史は変わっていたでしょうね。僕はそう思います」
(=敬称略)
真弓明信(まゆみ・あきのぶ)/1953年7月12日、福岡県出身。柳川商から社会人野球の電電九州に進み、72年のドラフトで西鉄ライオンズに3位指名され入団。 78年に遊撃手のレギュラーとなり、オールスターに初選出され、ベストナインにも選ばれた。その年のオフのトレードで阪神に移籍。79年から1番・ショートに定着して、外野手にコンバートされた85年は不動の1番打者として球団初の日本一に貢献。94年には代打の切り札として活躍。シーズン30打点の日本記録を樹立した。95年に現役を引退。引退後は解説者、近鉄でコーチを歴任後、09年から3年間、阪神の監督を務めた
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プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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