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村中秀人は息子のひと言でプリンスホテルを退社 国語の教師となり、高校野球界屈指の名将となった (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

「そんなこともあって、社長は『おまえの好きにしろ』と。でも『辛くなったらまた戻ってこい』とまで言ってくれて、うれしい限りでした。で、本気で高校野球をやるんだったら、教員を目指したいなと。グラウンドだけでは選手との意思疎通が十分ではないんじゃないか、生徒との時間を少しでも長くしたいと考えたんです」

 2年間、大学に通って教員免許を取り、国語の教諭になった。その後、99年、相模の校長が東海大甲府高の校長になると決まり、ともに村中も異動する話が持ち上がると、恩師・原貢の勧めもあって転任。低迷していた甲府を立て直し、2003年の夏から23年の夏までの間に8回の甲子園出場。04年夏、12年夏にはベスト4に進出し、山梨県で34連勝という記録もつくった。

「監督としての勝たせ方はプリンスが土台になっていると思います。石山さんに教わった、相手のデータを徹底的に集めて分析すること、ミーティングも含めて。でも、僕はそれだけじゃない。練習は徹底して原監督のやり方で。だからその2つをミックスしてやってきましたけど、8年間、経験させてもらったホテルマンとしての厳しさも生きてますよ」

 東海大相模高時代から、グラウンド整備に始まってトイレ掃除まで、完璧にきれいに仕上げるのが当たり前、という姿勢をチームに浸透させた。礼儀作法も社会に出て通用するレベルが当たり前と指導し、とくに挨拶は相手の心に響く声の出し方から教えた。そのプリンスホテル野球部がなくなって23年が経った今、あらためて、どういうチームだったのか。

「高校野球で長く指導してきたことを踏まえて思い返すと、プリンスはノンプロじゃなかったです。プロ養成と、オリンピックを目指すためのチーム。だからこそ一時代をつくれたんだと思うけれど、錚々たるメンバーをしっかりまとめないと勝てない。それはキャプテンとして感じたことであり、今も生きていることです」

 現在65歳の村中は、24年3月限りで監督を退任。4月以降は、全13校ある東海大付属校のバックアップをしていくという。そのなかにあって、プリンスホテルでの経験はどう生かされるのか。名将の指導がミックスされた野球はどこまで伝わっていくのか、注目したい。

(=敬称略)

著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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