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「お前、遊んでんのか?」根本陸夫は高橋直樹が公園にいることを知っていた (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「僕はもう全然、出る気はありません。ファイターズが好きですから」と高橋さんが返すと、「わかった。キミは絶対に出さない」と大沢が言った。

「それで大沢さんは帰るとき、タクシーで僕の家まで送ってくれて、玄関に出てきた女房にね、『いや奥さん、高橋君には頑張ってもらわないといけないから、よろしくお願いします、よろしくお願いします』って言って、こう、両手で女房の手を握るわけですよ」 

 いつの間にか、僕の右手が高橋さんの両手に包み込まれていた。取材中のそんなアクションも初めてのことでつい笑ってしまったが、眼前に迫る顔は真剣そのものだった。

「でね、こんなことまでして、翌日、新聞見たら『高橋トレード』。信じられないですよ。オーナーには仲人までしてもらってお世話になっていて、その人が面と向かって『出さない』と言ったのに。だからもう、広島に行ったときはなんのやる気もなかったんですよ。

 まして、コーチからは『江夏を出したから、江夏の代わりにリリーフをやってくれ』と言われて、やらされて。『オレは先発ピッチャーしかやったことないからリリーフはダメ』って何回も言ってるんですよ。当時はセーブなんて何の意味もないような記録だと思ってましたから」

 リリーフ、といっても、専任ではなかった。例えば、先発が決まっている日の前日、突如としてリリーフ登板を要求されることもあった。仕方なく登板すると、翌日の先発はなくなっていた。結局、移籍1年目の81年は16試合のうち8試合に先発して2勝5敗2セーブ、66回を投げて防御率3・95という成績に終わった。

「それで2年目はもう、ふてくされてね。肩が痛い、腰が痛い、足が痛いって、痛くないのに言うときもありました。不思議なもので、『やれ』と言われたら体が動かなくなるときもあった。拒絶反応ですね。そのかわり、自分では、陰で隠れて練習してたんですよ」

 かつて、広島市西区の三篠(みささ)に存在したカープの選手寮と室内練習場。その近くにある公園で、高橋さんは二軍のキャッチャーを相手に投げていた。一軍では4月に先発で1試合、リリーフで2試合に登板したのみ。何も結果を出せずに二軍に降格していたが、心身ともに充実していた。

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